キハ58 778



1966年5月17日日本車両製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で苗穂機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット778〜781全車が苗穂へ配置されている。苗穂へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月16日付で本来の配置区である尻内機関区へ異動した。兄弟の779〜781は小牛田へ配置されたが、778のみは尻内機関区へ正式配置された。尻内では、八戸線から東北本線・奥羽本線の急行「なつどまり」「深浦」等に使用された。車生の大半を八戸で過ごし、急行列車削減後も八戸線・大湊線の快速に使用され、そのままJR化を迎えた。JR化後は、1987年10月15日には盛岡色に変更された。また1988年頃に青函博に伴って運行された「EXPOライナー」用のヘッドマークステーを取り付けた。1990年前半のキハ110系大量投入に伴い、1991年度で八戸線・大湊線はキハ40系で統一されることとなり、車齢の浅い当車は花輪線で使用すべく1992年3月25日付で弘前運転区へ転出した。1994年度には花輪線運用車は盛岡に移管されることとなり1994年12月3日付で盛岡へ転出した。盛岡では引き続き花輪線のほか、山田線でも使用された。しかしながら1996年の秋田新幹線工事に伴う田沢湖線の全面運休の際に余剰となり、1996年12月24日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が残存し、晩年のJR東日本キハ58系では希少な形態。前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換ており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。放送用ジャンパ受栓は、新製時のステップ一体型のままである。タイフォンカバーは、後期車では新製時よりのシャッター付となっている。貫通扉に八戸時代の「EXPOライナー」用のヘッドマーク受けが残っている。
屋根上は概ね原型で、通風器・水タンク共に新製時のまま。よって後期車特有のデッキ上の通風器もそのままである。
側面は、乗降ドア下部の丸窓が撤去され存在しない。また当車は乗務員室ドアノブがモデルチェンジ車に準じた窪んだ形状のものになっている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。側面の機関冷却水給水口が埋められている。
床下では、複線用スノープロウを付けている。エンジンは、防火対策・車両更新の際に新潟鉄工製DMF13HZへ交換されている。


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