キハ58 782




1966年5月21日日本車両製の第7-1次車で、昭和40年度第2次債務で苗穂機関区へ配置された。同一ロットの782〜785のうち、782は苗穂経由で小牛田へ、783は旭川経由で美濃太田へ、784・785は苗穂経由で美濃太田へ配置された。苗穂へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月16日付で本来の配置区である小牛田機関区へ、前ロットの779〜781と共に異動した。小牛田では急行「たざわ」「陸中」等の東北本線北部の幹線急行で使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」以降は同小牛田区でキハ55系の置き換えとして、普通列車用に使用されるようになる。1986年3月には、勾配線区を擁する郡山との間でキハ23との車両交換があり、当車は1986年3月6日付で郡山へ転出した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は引き続き磐越西線・磐越東線・只見線で使用された。1991年には磐越東線にキハ110系が投入され、当車は玉突きで1991年3月24日付で新庄へ転出した。新庄では奥羽本線、陸羽東線の普通列車をメインに使用された。1991年12月には機関がコマツ製DMF11HZへ換装され、1992年頃には東北地域本社色へ変更された。1993年には水郡線・磐越西線にキハ110系の投入が進み、捻出されたキハ40系が新庄へ転入し、当車は只見線のキハ52を置き換えるため1993年12月1日付で会津若松運輸区へ転出した。会津若松では前述のとおり只見線をメインに運用されたが、只見線の運用数減少により余剰となり、1995年6月20日付で廃車となった。

前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強は施工されていない。ワイパーは強化型のWP50に更新されており、そのため正面窓下の手すりの位置が大きく下がっているのは、郡山工場の標準スタイルである。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。テールライトは新製時から外ばめである。放送用ジャンパ受栓は原型のステップ一体型のままである。新庄時代に、快速「いでゆ」用のヘッドマークステイが取り付けられている。
屋根上は列車無線アンテナが取り付けられている以外は、ほぼ原型のままである。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外は原型を保っている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。


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