キハ58 785




1966年5月21日日本車両製の第7-1次車で、昭和40年度第2次債務で苗穂機関区へ配置された。同ロット782〜785全車が北海道で暫定使用され、その後782は小牛田へ、783〜785は美濃太田へ正式配置された。当車は苗穂で北海道夏季輸送に使用された後に1966年9月11日付で美濃太田へ正式配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍した。1970年中盤には冷房化されている。国鉄末期には急行「のりくら」は徐々に格上げ・廃止され、「61-11改正」では急行運用は名古屋へ集約された後は普通列車運用のみとなり、そのままJR東海へ継承された。1989年のキハ11投入の際にキハ58は極力伊勢へ集約することになり当車は1989年3月7日付で伊勢へ転出した。しかし1年後に1990年には車両交換が行われ、当車は快速「みえ」で使用するため1990年2月頃に名古屋へ転属した。そして転属後「みえ」色化された。1994年の快速「みえ」へのキハ75系投入による車両整理の際に当車は残留組となり、伊勢へ転属し「みえ」色のまま再び紀勢本線で活躍するようになった。伊勢では急行色が多数を占めており、「みえ色」のままの当車は編成美を乱し嫌われる傾向にあった。そんな当車もJR東海キハ58系歳末期まで活躍し、最後は1999年のキハ75・キハ11の追加増備によるキハ58系全廃計画により2000年1月4日付で廃車となった。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、後期車であり前面補強されていない。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのシャッター式のままである。テールライトは、当ロットは新製時より外ばめ式である。制御用ジャンパ受栓の位置は、名古屋地区標準の位置である。放送ジャンパは、名古屋地区標準でステップの下に設置されている。
側面では、ほぼ原型であるが、乗降ドア隅の丸穴が板で塞がれている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は原型であるが、すべて灰色で塗装されているのは晩年の東海地区の特徴である。


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