キハ58 789




1966年5月26日日本車両製の第7-1次車で、昭和40年度第2次債務で苗穂機関区へ配置された。同ロット786〜789全車が北海道で暫定使用され、その後全車が美濃太田へ正式配置された。当車は苗穂で北海道夏季輸送に使用された後に1966年9月10日付で美濃太田へ正式配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍した。1973年に名古屋との間で運用移管があり、名古屋へ転出した。名古屋では急行「きそ」「紀州」「大社」「のりくら」などで広範囲に使用されたが、引き続き非冷房車のままであった。1978年に中央西線の急行の削減が行われた際に、非冷房の当車は余剰となり、1978年9月18日付で八戸へ転出した。冷房化され美濃太田に残っていたたの仲間とは対照的であった。八戸では急行「なつどまり」を中心に使用されたが、急行列車削減後も八戸線・大湊線の快速に使用され、そのままJR化を迎えた。JR化後は、1988年11月20日には盛岡色に変更された。1989年10月には運用縮小で八戸を終われ、1989年11月1日付で盛岡へ転出した。盛岡では花輪線・山田線で使用された。そして1991年9月には機関がコマツ製DMF11HZへ換装された。しかしながら1996年の秋田新幹線工事に伴う田沢湖線の全面運休の際に余剰となり、1996年12月24日付で廃車となった。

名古屋から東北へ移籍した車両であるが、名古屋時代の面影はない。
前面は、正面窓上の通風口が残存し、晩年のJR東日本キハ58系では希少な形態。前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換ており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。放送用ジャンパ受栓は、新製時のステップ一体型のままである。タイフォンカバーは、後期車では新製時よりのシャッター付となっている。
屋根上は概ね原型で、通風器・水タンク共に新製時のまま。よって後期車特有のデッキ上の通風器もそのままである。
側面は、乗降ドア下部の円形小窓が残存している。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。側面の機関冷却水給水口が埋められている。
床下では、複線用スノープロウを付けている。エンジンは、防火対策・車両更新の際に新潟鉄工製DMF13HZへ交換されている。


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