キハ58 795



1966年9月21日日本車両製の第7-2次車で、昭和41年度本予算で美濃太田機関区へ配置された。同一ロットの794〜797全車が美濃太田へ配置された。美濃太田ではキハ55系に代わり高山本線の急行「のりくら」及び高山本線〜北陸本線の循環急行「しろがね・こがね」で使用された。1972年に循環急行「しろがね」「こがね」が廃止されるのに伴い、当車は1972年10月14日付で金沢運転所へ転出。北陸本線の急行「ゆのくに」で使用されるようになった。この際1972年度に冷房化された。「53-10改正」では急行「ゆのくに」が電車化されることになり当車は急行「能登路」の冷房化のため1978年10月2日付で七尾機関区へ移動した。以降しばらく七尾配置で急行・普通に使用され、そのままJR西日本に継承された。JR化後すぐ1987年度に近郊化改造され普通列車専業となる。七尾では1988年度に七尾普通色へ変更され、七尾線の普通列車で使用された。その後1991年7月には七尾線和倉電化及び末端部の第三セクター化により用途を失い、当車は氷見・城端線用に転用され、1991年9月に高岡鉄道部へ転出した。当車は1016及びキハ28 2411・2412共にキサハ34を挟む列車に限定で使用され、そのため高岡では珍しくワンマン化はされなかった。その際に白ベースに黄色と青色の高岡色U-1へ変更された。1995年頃から塗装の簡略化が行われるようになり、地色が白とライトグレーであったのが、白のみに変更され、また正面青帯のバーコード状も無くなった。(高岡色U-2) その後1994年頃から台車がグレーで塗装されるようになった。高山本線のキハ120化の際にワンマンキハ58系が転入しキサハ34は置き換えられたが、当車は引き続き朝夕の北陸本線直通列車等の非ワンマン運用に限定で使用された。しかしながら1999年10月の舞鶴線電化の際にワンマン・モデルチェンジのキハ58系が転入し、非ワンマンで運用効率の悪い当車は早々に2000年3月31日付で廃車となった。

当車は金沢地区時代の特徴を色濃く残していた。
前面は、前面補強が未施工である。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが無くなっているのは、金沢地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのシャッター付きのままである。制御用ジャンパ受栓の位置、ステップの位置は末期冷房車の標準位置である。正面窓上の水切り・通風口は撤去されている。放送用ジャンパ栓の位置は、原型のステップ一体型のままである。テールライトは新製時から外ばめ式である。なお当ロットからフックが台座の無いタイプへ変更されている。これがよく似た顔立ちの792との大きな差異であった。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されて、乗務員室窓に水切りが追設されている。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのは、後年の金沢地区の特徴。当ロットから便所窓が横長の長方形になっており、これも792と区別するポイントであった。
屋根上は、原型の押込通風器のままであり、末期の金沢地区では珍しい。水タンクは台形のものに更新されている。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。1970年代の金沢時代より複線用スノープロウを装備している。


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