キハ58 798



1966年9月26日日本車両製の第7-2次車で、昭和41年度本予算で美濃太田機関区へ配置された。同一ロットの798・799・1000・1002全車が美濃太田へ配置された。当ロットは番号が飛んでいるが、同時期には番号とロット・製造時期がまちまちなケースが多々あった。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍したが冷房化されず、1970年代中盤に中央西線電化により冷房キハ58が名古屋や長野から転入し、当車は1974年12月14日付で一旦長野へ転出後、1975年3月2日付で七尾へ転出、七尾線の急行でキハ55に代わり使用されるようになった。この時期には同じロットの1000・1002も七尾へ集まっている。七尾は長らくキハ55系急行の天下であり、冷房電源つきキハ28の配置も無かったことから非冷房のまま活躍したが、1978年の急行「ちくま」「ゆのくに」「越後」の電車化により長野や美濃太田、金沢から冷房車が大量に七尾に流れ込んだことにより、非冷房の当車は1978年10月14日付で直方へ転出し、キハ55に代わり筑豊地区のローカル輸送に使用されるようになった。尚この際に兄弟の1000・1002は非冷房で残った小浜線急行用に敦賀へ転出しており、兄弟離れ離れとなった。以降は直方で800番代や他の非冷房車に混じり普通列車で使用され、後期車であることからそのままJR九州へ継承された。その後は勾配線区用に1987年8月27日付で熊本へ移動し、豊肥本線等の勾配路線で使用されるようになった。1989年3月8日には近郊化改造及び九州色への変更も行われたが、急行列車の削減でキハ65にも余裕が出てきたことから普通列車の冷房化も進み、非冷房である当車は余剰となり、JR九州の非冷房キハ58では最後の1995年3月24日付で廃車となった。

前面は、前面補強未施工でワイパーも原形のままで、非常にすっきりした面立ちである。その他のパーツも原形のままのものが殆どであるが、タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。熊本時代に急行の増結に使用するため、ヘッドマークステイが取り付けられている。
屋根上は非冷房のままで原形である。
側面もほぼ原形であるが、近郊化改造時に洗面所が撤去され、臭気抜き窓が撤去されている。
床下もほぼ原形である。九州標準のスカートが取り付けられている。
車端部は、近郊化改造時にデッキ仕切り扉が撤去された関係で、貫通扉が新設されている。その関係で下降窓が埋められている。


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