キハ58 1001



1966年9月29日富士重工製の7-2次車で、昭和41年度本予算で長崎機関区へ配置された。同一ロット1001・1018・1019のうち、当車のみが長崎へ配置されている。当ロットは番号が飛んでいるが、同時期には番号とロット・製造時期がまちまちなケースが多々あった。長崎へは急行「いなさ」「弓張」等の長崎本線系統の急行で使用され、比較的初期の1969年には冷房化された。その後変化は無く、長崎本線電化後も普通列車等で使用されていた。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後は、1988年3月の松浦線転換で余剰となるが、車齢が若く状態の良い当車は急行の増結用や波動用で使用されることになり、竹下へ移動し、1989年度には「九州急行色」へ変更された。1991年3月16日には竹下気動車区が廃止され直方へ統合されるが引き続き竹下常駐で波動用や急行の増結に使用された。1992年には急行「由布」「火の山」はキハ185系で特急化されることとなり、1992年7月15日付で長崎へ転出した。そして転属直後の1992年10月3日付で快速「シーサイドライナー」化された。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。2000年以降はJR九州では汚物処理装置の取付を100%化することになったが当車はその対象から外れ、2000年12月13日付で廃車となった。

当車は青ベースに赤色扉の「新シーサイドライナー色」化されていたが、ロゴが緑色に金縁のタイプで異彩を放っていた。
前面は、後期車であり前面補強が施工されていない。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、正面窓下の手すりの位置はほとんど変わっていない。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、九州標準の、タイフォンの上部へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の通風口、雨どいは残ったままである。なお当次車からは標識灯掛けフックが台座無しになっているが、当ロットは旧態の台座付きのまま落成している。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。クーラーは灰色であったが、屋根板は車体と同色で塗られている。
側面はおおむね原型である。当次車から便所窓が横長の長方形になっている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備している。機関予熱器は撤去されている。


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