キハ58 1004




1966年10月7日日本車両製の第7-2次車で、昭和41年度本予算で美濃太田機関区へ配置された。同一ロット1003〜1006のうち、1003・1004が美濃太田へ配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍した。1970年中盤には冷房化されている。1975年には名古屋との間で運用移管があり、1975年5月22日付で転属した。名古屋では中央本線の急行「きそ」や、紀勢本線の急行「紀州」を中心に急行「大社」「のりくら」等広範囲で使用された。1970年中盤には冷房化され、引き続き中部地区で活躍し、その後は名古屋担当の急行が次々に廃止されるも、残った急行「のりくら」用として国鉄末期まで活躍し、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き主に急行「のりくら」で使用され、キハ85系投入による特急格上げ後は快速「みえ」色化され、同列車で使用されるようになった。1993年にはキハ75系が投入され定期快速「みえ」からは撤退したが、引き続き多客期の波動用や武豊線の朝夕ラッシュ用として残留した。しかしながら1999年のキハ75・キハ11の追加増備によるキハ58系全廃計画により2001年1月15日付で廃車となった。一生兄弟の1003と行動を共にした。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、後期車であり前面補強されていない。ワイパーは原型のWP35のままであり、運転室窓下の手すりも原型のままである。タイフォンは当ロットオリジナルのシャッター式のままである。テールライトは、当ロットは新製時より外ばめ式である。制御用ジャンパ受栓の位置は、名古屋地区標準の位置である。放送ジャンパは、名古屋地区標準でステップの下に設置されている。なお当ロットから標識灯掛けフックが台座の無いタイプへ変更されている。
側面では、ほぼ原型であるが、乗降ドア隅の丸穴が板で塞がれている。当次車から便所窓が横長の長方形になっている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は原型であるが、すべて灰色で塗装されているのは晩年の東海地区の特徴である。


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