キハ58 1008



1966年10月17日新潟鉄工製の7-2次車で、昭和41年度本予算で熊本機関区へ配置された。同一ロット1007・1008では当車のみ熊本へ配置されている。熊本では急行「えびの」に使用された。熊本は勾配路線を抱えキハ28の配置が少なかったことから冷房化が遅れたが、キハ65の配置を待って1972年度に冷房化された。その後も熊本配置で長く急行「えびの」で使用されたが、国鉄末期には急行の減車が行われ当車も余剰となり、1986年4月7日付で志布志機関区へ転出、日南・志布志・大隅線の老朽キハ26・キハ20を置き換えた。国鉄末期には志布志・大隅線が廃止となり志布志機関区も廃止されることから1987年3月に鹿児島運転所へ移動し、そのままJR九州へ継承された。JR化後間もなく1987年度中には九州内での需給調整で車両交換があり、当車は竹下へ転出したが、更に1988年8月1日付で直方へ転出した。直方では主に波動用として使用され、1989年度に九州急行色へ変更された。その後も引き続き波動用及び普通列車で使用され、1996年6月1日には組織改正で筑豊篠栗鉄道事業部配置と変わったが、次第に波動輸送も少なくなり、1997年10月14日付で廃車となった。

前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは原型のWP35のままで、原型の手すりと相まってすっきりした表情である。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、九州では珍しく、原型のスリット式を装備する。志布志時代に快速用のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。当ロットから、標識灯掛けが台座なしになっている筈であるが、新潟鉄工製の当ロットは台座のある旧式のまま落成している。
屋根上は押込み通風器が残存しているが、車体中央寄りの2つは撤去されている変形車。九州標準で、排気口が屋根より若干飛び出している。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であり、便所窓は、当ロットでは新製時から横長のものになっている。
床下では、前位側へ半欠け状のスカートの取り付けが行われている以外はほぼ原型である。


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