キハ58 1009




1966年10月10日新潟鉄工製の7-2次車で、昭和41年度本予算で新潟運転所へ配置された。同一ロット1009・1010両車とも新潟配置である。新潟では急行「赤倉」をはじめ、急行「羽越」「いいで」「うおの」等で使用された。1969年4月に冷房電源付きキロ28 2500番台が新潟に配置され、これから給電される形で急行「赤倉」の指定席車を冷房化することになり、当車は当時新潟に配置されていた他の同次車と共に1969年度中に冷房化された。以後長らく急行「赤倉」の専属車として活躍したが、「57-11改正」で急行「赤倉」が電車化されることになり、以降は急行「あがの」「べにばな」等の支線急行で冷房車として使用された。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も冷房車であることから引き続き快速「べにばな」「あがの」で使用され、1990年代の機関換装及びそれに伴う転配の際にもそのまま新潟配置のままであった。当車は1990年10月度にカミンズ製DMF14HZ機関へ換装され、前後して新潟色へ変更された。新潟当時は車体側面の給水口はそのまま残置されていた。その後1993年には新潟へキハ110系が投入されたことにより当車は余剰となるが、他区の若番車を置き換えることとなり、1993年12月1日付で当車は兄弟の1010とともに長野へ転出した。長野では飯山線で使用され、塗装も「飯山色」へ変更された。また長野で側面の給水口が埋められた。また室内も近郊化改造された。1997年には長野新幹線開業に伴い飯山線のキハ110系化が行われ、当車は再び余剰となるが、快速「月山」の増結車を冷房化するため1997年8月27日付で新庄へ転出した。新庄ではしばらく「飯山色」のまま活躍し、快速「月山」は、「月山色+東北地域本社色+飯山色」のばらばらな塗装で組成された。しかし1998年頃にはさすがにこのちぐはぐ編成を解消することになり、月山色ともども「東北地域本社色」へ統一された。1999年3月改正では、山形新幹線新庄延伸工事のため一部区間運休となり、この際に快速「月山」は廃止され、当車は余剰となる。しかし検査期限に余裕があったからか、引き続き存命し1999年3月15日付で小牛田へ転出、快速「南三陸」で使用されるようになった。しかしこの時点で既に快速「南三陸」はキハ40系化が進められており、当車は2000年5月1日付で廃車となった。

前面は、新潟時代に新潟地区標準の前面補強改造がなされている。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。水切りは撤去されていない。デフロスタは、新潟地区標準で両側に付いている。ワイパーは、新潟時代にWP50に改造されている。テールライトは新製時から外ばめ式である。標識灯掛フックは当次車は台座無しのはずであるが、当ロットは旧来の台座つきで落成している。タイフォンカバーは、後期の新潟タイプで下半分がメッシュ状の筒をかぶせたものとなっている。放送用ジャンパ受栓は、新製時からステップ一体式である。制御用ジャンパ受栓と、冷房電源用ジャンパ受栓の位置は、初期冷房車の位置のままであり、冷房電源用ジャンパ受栓の位置が、通常の車両より下に付いている。
側面では、運転室窓バランサー点検蓋は新製時からの形状である。車体中央付近にあった機関冷却水口は新潟時代は埋められていなかったが、長野転出後他車と同じように埋められた。乗降ドア隅の丸窓は、ガラスが撤去され鉄板で埋められた、JR東日本でよく見られた形状である。便所窓は当ロットから横長の長方形になっているが、当車は近郊化改造の際に便洗面所が撤去され、祖その際にこの窓が正方形に近い窓へ変更されている。
屋根上は通風器は原型であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。前位側デッキ上の通風器は撤去されているが、後位側は残っている。雨どいが、新潟地区特有の、鉄板で滑らかに処理されたタイプとなっている。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンクは晩年のJR東日本では珍しく原型のままである。



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