キハ58 1016



1966年9月21日富士重工製の第7-2次車で、昭和41年度本予算で長野機関区へ配置された。同一ロットの1015・1016共にが長野へ配置された。長野では中央西線の急行を中心に使用され、急行「きそ」の他、急行「ちくま」「越後」で大阪・北陸本線周りで新潟まで運用された。しかし、1973年の中央西線電化により気動車急行の削減が続き、1975年3月29日付で七尾機関区へ転出した。七尾ではキハ55に代わり急行「能登路」で使用された。七尾は長らくキハ55系急行の天下であり、冷房電源つきキハ28の配置も無かったことから非冷房のまま活躍したが、1978年の急行「ちくま」「ゆのくに」「越後」の電車化により長野や美濃太田、金沢から冷房車が大量に七尾に流れ込んだことにより、車齢の若い当車は冷房化の対象となり、キハ58系では晩年の1980年に冷房化された。引き続き七尾線の急行及び普通列車で使用され、七尾配置のままJR西日本に継承された。1987年度には近郊化改造され、普通列車専属となり、1988年度中にで七尾普通色へ変更された。その後1991年7月には七尾線和倉電化及び末端部の第三セクター化により用途を失い、当車は氷見・城端線用に転用され、1991年9月に高岡鉄道部へ転出した。当車は795及びキハ28 2411・2412共にキサハ34を挟む列車に限定で使用され、そのため高岡では珍しくワンマン化はされなかった。その際に白ベースに黄色と青色の高岡色U-1へ変更された。1995年頃から塗装の簡略化が行われるようになり、地色が白とライトグレーであったのが、白のみに変更され、また正面青帯のバーコード状も無くなった。(高岡色U-2) その後1994年頃から台車がグレーで塗装されるようになった。高山本線のキハ120化の際にワンマンキハ58系が転入しキサハ34は置き換えられたが、当車は引き続き朝夕の北陸本線直通列車等の非ワンマン運用に限定で使用された。しかしながら1999年10月の舞鶴線電化の際にワンマン・モデルチェンジのキハ58系が転入し、非ワンマンで運用効率の悪い当車は余剰となり2002年1月25日付で廃車となった。

当車は金沢地区時代の特徴を色濃く残していた。
前面は、松任で前面補強されているが、初期の改造であるからか、鉄板の段差がくっりきと残っている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが無くなっているのは、金沢地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのシャッター付きのままである。制御用ジャンパ受栓の位置、ステップの位置は末期冷房車の標準位置である。正面窓上の水切り・通風口は撤去されている。放送用ジャンパ栓の位置は、原型のステップ一体型のままである。テールライトは新製時から外ばめ式である。なお当次車は標識灯掛けが台座の無いタイプへ変更されているはずであるが、当ロットは旧態の台座つきで落成している。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されているが、乗務員室窓に水切りは追設されていない。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのは、後年の金沢地区の特徴。当ロットから便所窓が横長の長方形になっている。
屋根上は、原型の押込通風器のままであり、末期の金沢地区では珍しい。水タンクは台形のものに更新されている。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る