キハ58 1027



1967年4月27日富士重工製の7-2次車で、昭和41年度第1次債務で釧路機関区に新製配置された。同ロットの1025〜1027の3両全車が釧路経由で広島に配置された。釧路へは夏季輸送用の仮配置で、1967年9月17日月で広島へ移動している。広島では主に九州直通急行「青島」で使用された。1975年には山陽新幹線開業で急行「青島」は廃止されるが、引き続き広島運転所に残留し主に芸備線系統の急行に使用された。1983年2月には岩国・亀山・向日町・広島の間で主に汚物処理装置装備車を有効活用する転配が行われ、これにより当車は岩国へ転出した。岩国でも引き続き急行「ちどり」で活躍したが、「59-2改正」で岩国機関区が廃止となり、結局広島へ戻った。国鉄最後の「61-11改正」では、向日町から汚物処理装置付きキハ58が大量に転入し、当時未改造であった当車は1986年11月1日付けで小郡へ転出した。この転出が兄弟運命の分かれ道となった。当車は小郡配置のままJR西日本に継承され、急行「さんべ」「ながと」で使用された。1989年9月11日には赤色ベースの「広島急行色T」に、1991年7月25日には緑色ベースの「広島急行色U」に塗装変更された。その後1997年には急行「さんべ」が廃止され、当車を含む急行用車は黄色ベースの「広島普通色」へ変更され普通列車で使用された。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。1999年3月12日には延命工事を施工し普通列車で活躍したが、山口では次第に他区から転入のキハ40系で置き換えが進み、ローカル用キハ58系は縮小の一途を辿っていた。2002年には兄弟の1026が山口に転入し約25年ぶりの再会であったが、当時1026は急行仕様でアコモ改造されており、格の差は歴然であった。そして当車は老朽化のため1026より一足先に2004年3月19日付で廃車となった。

外観的には、後年の広島地区特有の改造を受け、個性を増している。
前面は、後期車であり前面補強が未施工のままであった。延命工事施工車であるが、他地区のように雨どいや正面窓上水切りは撤去されていない。デフロスタは運転席側のみに付いている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されているが、運転席窓下の手すり位置は原型のままで、関西からの転入組との区別は容易であった。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。正面フックは、後期車特有の台座無しのものである。テールライトは新製時から外ばめ式である。制御ジャンパ受栓は、初期冷改車の位置にある。放送ジャンパ受栓は、広島地区特有のタイフォン上部に移設されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。その他は概ね原型を保っているが、広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。後期車の特徴として、便所窓が横長のものになっている。
屋根上は延命工事時にすべての通風器が撤去されている。また延命工事時に雨どいが外板埋め込み式となり外から目立たなくなった。水タンクは、原型のままである。
床下機器はほぼ原型のままである。


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