キハ58 1032



関西地区で団臨や修学旅行用として2000年代まで使用された車両。

1967年4月20日日本車両製の7-2次車で、昭和41年度第1次債務で釧路機関区に新製配置された。同ロット1031〜1034全車が釧路へ配置された。釧路へは北海道夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の1967年9月15日付けで本来の和歌山機関区へ移動した。当ロットでは1031・1032が和歌山へ、1033・1034が美濃太田へ配置された。和歌山では1970年度には冷房化された。長く急行「きのくに」で使用され、1978年の紀勢西線電化後も「きのくに」は気動車のまま残り、当車も和歌山で引き続き使用された。「60-3」改正で特急「くろしお」に485系が投入され急行「きのくに」が格上・全廃されるのに伴い、当車は1031と共に、1985年3月13日付で亀山機関区へ転出した。亀山では勾配路線の信楽線の他、キハ35に代わり関西本線・片町線で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は信楽線の廃止・片町線の電化で規模が縮小する中でも生き残っていたが、1990年6月1日から関西本線がワンマン化されるのに際し、基本編成を2両に統一することから1989年度中にキハ28とキハ58の交換が行われ、キハ28 2313と3022が福知山から亀山へ転入し、当車とキハ58 691が福知山へ転出した。福知山では急行「丹後」や普通列車で使用されたが、1991年に信楽高原鉄道正面衝突事故が発生し、向日町のキハ58 1023が事故廃車されたことから、これを補充するために後期車である当車が抜擢され、1991年度中に向日町へ転出した。向日町転出後は汚物処理装置の取付がなされ、波動用車として使用された。1996年3月には組織改正で向日町運転所は京都総合車両所と名称を変えたが、運用の実態は同じであった。しかしながらキハ58系の老朽化により波動輸送がキハ181系化されることになり、2003年9月5日付けで廃車になった。

外観的には、関西地区の標準形態を保っている。廃車直前の2002年頃の検査であちこち改造され、形状が変わっていた。
前面は、後期車であり前面補強はされていない。正面窓上の通風口が2002年の検査で撤去されているが水切りは残っている。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーは原型のシャッター付きから、2002年の検査時にオリジナルと形状が異なるスリット状に交換されている。テールライトは新製時から外ばめである。冷房電源用ジャンパ受栓の位置は、1972年以前の標準の、現行より下がった位置に取り付けられたままであり、それに合わせ制御用ジャンパ受栓も初期冷房車の位置である。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。当次車からはフックが台座無しである。2002年までは、正面の種別表示幕横に、亀山時代の列車無線アンテナ挿しが残っており、当車を見分けるポイントであったが、2002年の検査時に撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上は後位側デッキの通風器が残置されているのが珍しい。それ以外は冷房車の標準形態である。クーラーはルーバーがメッシュタイプとスリットタイプが混在している。
床下では、後位側に汚物処理タンクが設置されている以外は原型である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る