キハ58 1035



1967年5月27日新潟鉄工製の7-2次車で、昭和41年度第2次債務で新潟運転所に新製配置された。同ロット1035・1036両車とも新潟へ配置された。新潟へは新製後疎開のための仮配置で、7月5日付で房総地区夏季輸送用に勝浦へ転属し、夏季輸送終了後の9月に本来の配置区である高松へ転属した。高松では1970年5月に冷房化され、終始四国島内の急行列車で使用された。国鉄時代晩年の「55-10改正」で四国急行の減車が行われ、この際に当車は車齢の高い徳島のキハ58を捻出すべく、1980年10月1日付で徳島へ転出した。なおこの際に捻出された徳島の若番車は水戸と七尾へ転出し、更に非冷房車やキハ55系を捻出する転配が行われている。徳島移動後は急行「阿波」「むろと」等の徳島地区の急行で使用されたが、「60-3改正」で一部減車された際に余剰気味となり、当車は波動輸送用に1985年度に転換クロスシート化され、塗装もクリーム地に赤色の団体専用色となった。改造後は波動用・団体用の他急行でも使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は内装が引き続き波動用や急行に使用されたが、1989年3月9日には四国色へ変更され他車と同じ扱いとなった。しかし1990年11月21日の急行「阿波」全廃後は汚物処理装置が未設置であったことや特殊な内装が災いし、比較的後期車ながら1992年3月31日付で廃車となった。

前面は、後期車であることから、前面補強未施工のまま一生を終えている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、四国標準に位置に改造されている。タイフォンカバーは、シャッター付からスリット状に改造されている。
側面はほぼ原形であり、当ロット以降は便所窓が横長の形状に変更されている。
屋根上は冷房化以降特に手を加えられていない。前位側デッキ上の通風器が残存しているのは四国ではよく見られた形態である。
床下は、ほぼ原形である。四国のキハ58系では最後まで汚物処理装置を取り付けていない車両であった。


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