キハ58 1038 → キロ59 510 → キハ59 510



JR東日本でジョイフルトレイン「グラシア」後に「こがね」として活躍した車両。

1967年6月15日新潟鐵工製の7-2次車で、昭和41年度第二次債務で水戸機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは1037が同日に梅小路へ、1039が水戸へ配置されている。兄弟の1039は同じくキロ59 511に改造されており、双子のごとく終始同じ経歴を辿った。新製配置の水戸では主に常磐線北部の急行列車に使用され、急行「奥久慈」「いわき」「いなわしろ」「あがの」で使用された。水戸では1エンジンのキハ28が常磐線系統の「ときわ・奥久慈」に多用され、2エンジンのキハ58は磐越東線経由の急行「いわき」、同運用で「いなわしろ」「あがの」に広範囲に使用されてた。そのため、水戸地区は温暖地であるにも関わらず、北部運用に使用される車両にはスノープロウが取り付けられていた。水戸では長く使用され、水戸時代の1970年代中盤に冷房化されたものと思われるが詳細は不明。「57-11」改正で、「いわき」「いなわしろ」が廃止された後も水戸にとどまり引き続き「ときわ・奥久慈」で使用され、「60-3」改正で「ときわ・奥久慈」が廃止された後も、臨時急行「奥久慈」や、水郡線の普通列車用として引き続き使用された。国鉄最後の「61-11」ダイヤ改正で水戸を離れ、1039とともに1986年11月1日付で郡山へ転出し、磐越西線等で使用されるようになった。しかしながら1039とともに冷房車はこの2両のみで、冷房電源付キハ28は在籍していなかったため、冷房を使用することはできなかった。JR化後すぐ、東北地域本社の新型ジョイフルトレイン計画により当車は当地区で唯一の冷房キハ58でしかも車齢も若かったことから種車に抜擢され、1039とともにキロ59に改造された。これに伴いまず1989年3月11日付で小牛田へ転出し、1989年10月31日付でキロ59 510として郡山工場を出場した。この際にエンジン換装等の体質改善工事も同時に施工された。その後は一貫して小牛田に配置され、2000年3月30日には車内外設備等はそのままグリーン車から普通車へ格下げされ、番号はそのまま「ロ」から「ハ」へ変更され、キハ59 510となった。アルカディアが再改造されKenjiとなった際には、元番号へ復しているが、当車は設備に変更がなかったので番号の変更も最小限となったのであろうか。その後2003年には内外のリニューアルが行われ、名前も「こがね」として2003年6月30日より再出発した。団体列車のほか臨時列車に多用され、主に気仙沼線・大船渡線方面で使用されたが、2011年7月21日付で廃車となった。廃車後はフィリピンに輸出された。

外観は、グラシア改造時に大幅に手を加えられ、運転室・展望室側に種車の面影はない。客室は側窓が一部を除き固定窓化されたが2枚のみは非常用として上昇式窓で残されている。後位側は便所が撤去され業務用室等に変更されたが、横長の便所窓はそのまま残されている。
屋根上は、水戸時代の常磐無線取付対応の冷房配置が種車の面影を残している。客室通風器は撤去されているが、デッキの通風機は残されている。また便所が撤去されているので屋根上の水タンクも撤去されている。
床下は、「グラシア」への改造時より台車を含めた全ての機器がグレーに塗られている。機関はコマツ製DMF11HZへ換装され、機関予熱器も撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。便所が撤去されているので、床下の流し管や汚物処理装置も付いていない。
妻面は、貫通路が拡大され、配電盤等の張り出しの形状が変更されているほか、固定編成となっているので受栓取付も一部省略されているほか、冷房関係のジャンパ線も片栓しか使用しない構造になっている。



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