キハ58 1040



当車は兄弟仲間外れで各地を転々とした車両の典型例である。

1967年7月10日新潟鉄工製の第7-2次車で、昭和41年度第2次債務で勝浦機関区へ配置された。同一ロットの1040〜1043全車が勝浦経由で米子・鳥取へ配置された。勝浦へは夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の8月20日に兄弟の1041共に米子へ転属した。米子では山陰本線系の急行で使用されるが、1969年には鳥取へ移動し、急行「砂丘」「白兎」「但馬」「みささ」等で使用された。鳥取では冷房化されることなく、1972年度中に再び米子へ戻った。当車は他の仲間が次々と冷房化される中非冷房のまま取り残され、ついに1980年に、急行「きのくに」の特急格上げで冷房車が和歌山から米子へ転入するため、非冷房で残った車両は他区へ転用されることになった。具体的には、和歌山から219・312・472、宮原から463が転入し、643・1040が10月15日付で亀山へ、1124・1130が美濃太田へ転出した。亀山では、主に関西本線・片町線でキハ35系とペアを組んだり、勾配路線の信楽線でキハ58ダブルで使用されることから、非冷房でも差し支えなかった。しかし1985年3月の急行「きのくに」全廃で状態の良い冷房キハ58・28が大量に亀山へ転入し、非冷房車は次第に稼働率が落ち、ついに1986年3月に他区へ転用されることとなり、1986年3月7日付で長野へ転出、飯山線のキハ58系化を推進した。国鉄最後の「61-11改正」では需給の関係から中込との間でキハ52との交換等が行われ、当車は1986年11月中に中込へ転出、小海線で使用されるようになり、そのままJR東日本に継承された。小海線ではキハ110系への置き換えまで使用され、1991年上期にキハ110系が投入されると余剰となるが、車齢が比較的若いこともあり引き続き使用されることとなり、1991年9月度に長野へ転出し、再び飯山線で使用されるようになった。転出に先立ち、1991年3月には車両更新・機関更新及び飯山色への変更が行われた。飯山線ではキハ58系末期まで使用され、1997年の飯山線キハ110系化により余剰となり、次は只見線で使用すべく、1997年8月27日付けで会津若松へ転出した。会津若松では飯山色のまま使用されたが、運用数減少やキハ40系の転入により徐々に置き換えが進み、当車は1998年10月には1526と共に盛岡へ転出した。これは1998年に発生した花輪線土砂崩れに巻き込まれ廃車となった1508・1519の補充用とされているが、実際には1040と1526が運用された実績は無く、廃車予定であった他の車を継続使用して対応した。結局当車は1526と共に盛岡で保留車として在籍し、そのまま復活することなく2001年10月2日付けで廃車となった。最後まで飯山色のままであった。

形態は、他の兄弟と全く異なり異端車の風貌であった。JR東日本更新車では唯一の平窓+非冷房車であった。
前面は、延命工事時に正面窓上の通風口が埋められているが、水切りは残っている。JR化後の長野工場で前面補強が施工されており、台座付き手すりやワイパー部の切り欠き等、郡山と近い形態であるが、アンチクライマーは付いていない。前面補強板に切り欠きはあるが、ワイパーは原型のWP35のままである。制御ジャンパ受栓は、非冷房車ながら、前面補強時に冷房車と同じ位置へ移設されている。放送ジャンパは、長野時代にテールライトの横付近へ移設されている。タイフォンカバーはシャッター付きで落成していたが、後に長野にてスリット状へ改造された。これはオリジナルのスリット式とは形状が異なる。テールライトは新製時から外ばめである。また当次車からは標識灯掛けフックの台座がなくなっている。当車は中込配置時代に正面種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、更新後もそのまま残っていた。
側面では、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、他の更新車と同様、キハ40系のようなユニット式のものに更新されている。車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されているが、他地域と比べ窓半分後位側へずれている。(他地域のものは、前位側から5枚目の客室窓下にあるが、当車は前位側から5枚目と6枚目の間にある) これに関係し、側面の車号標記も窓半分ずれている。バランサー点検蓋は、新製時からの形態のままである。当次車では便所窓が横長のものになっている。
屋根上は非冷房車であり原型のままである。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ更新され、エアクリーナーが目立つ。また機関更新に伴い機関予熱器が廃止されている。長野地区ではスノープロウを使用していなかったが、会津若松転出時に複線型スノープロウが増設されている。なお当車は更新時に近郊化改造され、その際に便洗面所が完全撤去されたので、便所流し管が付いていない。
余談であるが、更新・近郊化改造時に便洗面所が完全撤去されたので、デッキ仕切戸が50系客車のような両開き戸になっているという異端車である。


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