キハ58 1043



1967年7月10日新潟鉄工製の第7-2次車で、昭和41年度第2次債務で勝浦機関区へ配置された。同一ロットの1040〜1043全車が勝浦経由で米子・鳥取へ配置された。勝浦へは夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の8月20日に米子へ転属した。米子では山陰本線系の急行で使用されるが、1969年には鳥取へ移動し、急行「砂丘」「白兎」「但馬」「みささ」等で使用された。1970年代前半には冷房化されたものと思われる。山陰地区は近代化が遅れ、晩年まで車両の動きも少なかった。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの仲間と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後も快速「とっとりライナー」等で重宝される。1999年10月2日には運用移管等で後藤へ移動し、2000年3月度には車両延命工事も施工され、引き続き山陰本線で使用されたが、2004年のキハ126系投入に先立ち、検査期限切れで2004年3月19日付で廃車となった。

前面は、延命工事時に正面窓上の通風口が埋められ、水切りも撤去された。前面補強未施工である。ワイパーはWP50へ更新された際に、運転台側正面窓下手すりが原型のまま残り、米子地区では珍しいスタイルである。デフロスタは運転席側のみ設置されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーはシャッター付きで落成していたが、延命工事時に手作りのスリット状へ改造された。これはオリジナルのスリット式とは形状が異なる。テールライトは新製時から外ばめである。また当次車からは標識灯掛けフックの台座がなくなっている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓上部にも水切りは無い。乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。当次車では便所窓が横長のものになっている。
屋根上は延命工事時に全ての通風器が撤去されている。延命工事の際、雨どいが埋め込み式に更新されている。屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されているのは、延命・更新工事施工車の特徴である。クーラーは、ルーバーがメッシュ状のものとスリット状のものが混在している。
床下機器ほぼ原型である。


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