キハ58 1044



1967年7月15日新潟鉄工製の第7-2次車で、昭和41年度第2次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロットの1044〜1047全車が千葉経由で鳥取へ配置された。千葉へは夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の8月24日に鳥取へ転属した。鳥取では山陰本線系の急行で使用され、急行「砂丘」「白兎」「但馬」「みささ」等で使用された。1970年代前半には冷房化されたものと思われる。山陰地区は近代化が遅れ、晩年まで車両の動きも少なかった。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの仲間と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後も快速「とっとりライナー」等で重宝されるが、2004年のキハ126系投入により余剰となり、2005年1月19日付で廃車となった。兄弟の1045・1046とは一生全く同じ動きであった。

前面は、正面窓上の通風口が埋められ、水切りも撤去されている。前面補強は施工されていない。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーはシャッター付きで落成しており、最後までそのままであった。テールライトは新製時から外ばめである。また当次車からは標識灯掛けフックの台座がなくなっている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓上部に水切りは無い。乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。
屋根上は、全ての通風器がハーフガーランド形に交換されている。屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されているのは、末期の山陰地区配置車の特徴である。
床下機器はほぼ原型であるが、助手席床下に、機器箱が追加されている。


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