キハ58 1047



1967年7月15日新潟鉄工製の第7-2次車で、昭和41年度第2次債務で千葉気動車区へ配置された。同一ロットの1044〜1047全車が千葉経由で鳥取へ配置された。千葉へは夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の8月24日に鳥取へ転属した。鳥取では山陰本線系の急行で使用され、急行「砂丘」「白兎」「但馬」「みささ」等で使用された。1970年代前半には冷房化されたものと思われる。山陰地区は近代化が遅れ、晩年まで車両の動きも少なかった。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの仲間と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後も快速「とっとりライナー」等で重宝され、1998年12月30日には車両延命工事も施工されるが、2004年のキハ126系投入により余剰となった。他の仲間は廃車となるが同時期に越美北線で水害が発生し、線路が分断された関係で車両が不足、ピンチヒッターとして使用されることとなり2004年8月24日付で越前大野鉄道部へ転属した。越美北線では鳥取時代の急行色のまま使用され、注目された。越美北線の復旧は進み、2007年6月30日から全線で運転を再開し当車は役目を終えた。その後、急行色で原型に近いことから臨時列車や団体列車で使用された後、2008年11月17日付で福井鉄道部にて廃車となった。

最終配置は金沢地区であるが、鳥取時代のままの形態で使用された。
前面は、延命工事時に正面窓上の通風口が埋められ、水切りも撤去されている。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーはシャッター付きで落成していたが、延命工事時に手作りのスリット状へ改造されている。これはオリジナルのスリット式とは形状が異なる。テールライトは新製時から外ばめである。また当次車からは標識灯掛けフックの台座がなくなっている。
側面では、前面窓から延びる水切りが、乗務員窓の部分が残った変形車。乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。
屋根上は延命工事時に全ての通風器が撤去されている。延命工事の際大半の車両は雨どいが埋め込み式になっているが、当車はなっていない。屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されているのは、延命・更新工事施工車の特徴である。
床下機器は金沢地区配置ながら台車は黒色のまま。ほぼ原型である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る