キハ58 1048



1967年5月30日富士重工製の第7-2次車で、昭和41年度第2次債務で新潟運転所へ配置された。同一ロットの1048・1049のうち、当車は新潟へ仮配置後館山へ仮配置され、鳥取へ正式配置、1049は同じく新潟へ仮配置後館山へ仮配置され、広島へ正式配置された。新潟へ新製配置されるもすぐ7月6日には千葉県は館山へ仮配置され、夏季海水浴輸送終了後の8月24日に鳥取へ転属した。鳥取では山陰本線系の急行で使用され、急行「砂丘」「白兎」「但馬」「みささ」等で使用された。1970年代前半には冷房化されたものと思われる。山陰地区は近代化が遅れ、晩年まで車両の動きも少なかった。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの仲間と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後も快速「とっとりライナー」等で重宝されるが、2004年のキハ126系投入により余剰となった。他の仲間は廃車となるが当車は唯一保留車として残り続けるも、2007年7月6日付で廃車された。仮配置を除くと、鳥取に正式配置以降当地を離れることが無かった。

前面は、正面窓上の通風口が埋められ、水切りも撤去された。後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原型のままステップの下にある。タイフォンカバーはシャッター付きで落成していたが、2000年以降に手作りのスリット状へ改造された。これはオリジナルのスリット式とは形状が異なる。テールライトは新製時から外ばめであった。また当次車からは標識灯掛けフックの台座がなくなっていた。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員窓の部分に小さな水切りが追加されていた。乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままであった。また便所窓は当次車以降は横長のものになっていた。
屋根上は晩年の山陰地区標準で、ガーランドベンチレーターに交換されていた。屋根上の水タンクは金沢地区に端を発する角型のものに交換されていた。また当車は前位側デッキ上の箱型通風器が残存していた。
床下機器はほぼ原型であったが、乗務員室側床下に箱が追加されていた。


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