キハ58 1051



関西地区で団臨や修学旅行用として2000年代まで使用された車両。

1967年6月13日富士重工製の7-2次車で、昭和41年度第2次債務で梅小路機関区に新製配置された。同ロット1050〜1052全車が梅小路へ配置された。梅小路ではキハ55系に代わり京都発着の急行「志摩」「紀ノ川」で使用されるが、組織変更で梅小路の配置は1968年に向日町へ移管された。その後は一貫して両急行に使用されたが、向日町へキハ65が新製配置された関係から、当車は1973年4月26日付で岡山へ転出し、急行「みまさか」「砂丘」「伯耆」等で使用されるようになった。そして岡山転出後の1970年代中盤〜後半に冷房化された。そしてそのままJR西日本に継承された。JR化後も引き続き急行「砂丘」で使用されたが、1988年には急行「砂丘」の運用が鳥取へ統一され、以後津山線・姫新線のローカル輸送に細々と使用された。1991年5月14日、信楽高原鉄道でキハ58系による正面衝突事故が発生し、その際にキハ58 1023は大破し即廃車、キハ58 595と1030は大破を免れたが、結局1993年に595と1030も廃車となることになり、その代用として1051と1125が向日町へ転入した。1051にとっては、1973年に向日町を去って以降、20年ぶりの里帰りであった。転入後、1995年3月15日付で他の向日町配置車と同じく汚物処理装置が取り付けられ、波動用車として使用された。1996年3月には組織改正で向日町運転所は京都総合車両所と名称を変えたが、運用の実態は同じであった。しかしながらキハ58系の老朽化により波動輸送がキハ181系化されることになり、2002年2月4日付けで廃車になった。

外観的には、関西地区の標準形態を保っているが、岡山時代が長く、他の向日町生え抜き車とはあちこち異なっていた。
前面は、後期車であるが、関西標準の前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーは原型のシャッター付きのままである。テールライトは新製時から外ばめである。制御ジャンパ受栓は、間隔の空いた位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。当次車からは標識灯掛けフックが台座無しである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。当次車は便所窓が横長の長方形となっている。
屋根上は前位側・後位側共にデッキの通風器が残置されているのが極めて珍しい。それ以外は冷房車の標準形態である。
床下では、後位側に汚物処理タンクが設置されている以外は原型である。


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