キハ58 1105



快速「シーサイドライナー」用として改造された、唯一のモデルチェンジキハ58

1968年6月24日新潟鉄工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で鹿児島機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット1105〜1108では1105・1106が鹿児島へ配置されている。鹿児島では鹿児島本線・日豊本線の幹線急行「フェニックス」や九州南部の急行で使用され、1969年度には冷房化されている。そのため、冷房準備車で活躍したのは1冬のみであった。両線の電化後も支線急行で使用されたが、1980年の鹿児島地区急行の格下げ後は快速「錦江」「大隅」「やたけ」等で使用されたり、日南・肥薩・指宿枕崎線の普通列車で使用されるようになった。そのままJR九州へ継承された。JR化後は比較的後期車をアコモ改造のうえ急行に充当し、若番車を近郊化しローカル使用する方針から、当車は急行「由布」「火の山」用として1987年度に竹下へ転出した。1989年3月7日には九州急行色へ変更されると共にリクライニングシート化され急行に使用された。しかしながら1992年には急行「由布」「火の山」はキハ185系で特急化されることとなり、当車は転出を見込んで1991年11月28日付で快速「シーサイドライナー」化された。そしてダイヤ改正後の1992年7月15日付で長崎へ転出した。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。しかし、末期には検査期限の関係からか車両の入れ替えが発生し、当車は若番車のキハ58 66と入れ替えに2001年3月1日付けで廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強が施工されていない。ワイパーは原型のWP35のままで、運転席窓下の手すりも移動していない。運転室側のステップは冷房化で消滅している。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、2つの間隔の狭い初期タイプ冷改車の形態である。放送用ジャンパ受栓はJR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状を装備している。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。クーラーは灰色であったが、屋根板は車体と同色で塗られている。
側面はおおむね原形である。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、機関は原形のDMH17Hエンジンを装備している。九州では珍しく、機関予熱器が残置されている。なお、スカートに取り付けられていたスノープロウは取り外されている。


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