キハ58 1109



1968年6月18日新潟鐵工製の8-3次車で、昭和42年第3次債務で新潟に配置された。同一ロット1109〜1112では、1109が長野、1110・1111が新潟、1112が館山に配置されたが、仮配置後は全車和歌山に配置されている。当車は長野に配置の後、1968年9月25日付で本来の和歌山機関区へ配置された。和歌山では急行「きのくに」用としての増備であった。和歌山では1970年度には冷房化された。長く急行「きのくに」で使用され、1978年の紀勢西線電化後も「きのくに」は気動車のまま残り、当車も和歌山で引き続き使用された。「60-3」改正で特急「くろしお」に485系が投入され急行「きのくに」が格上・全廃されるのに伴い、当車は同ロットの仲間と揃って福知山地区へ転出することになり、1985年3月15日付で豊岡機関区へ転出した。これは、豊岡には車齢の高い若番車が集まっていたため、これを置き換えるためである。「61-11」改正では福知山線電化により当線の気動車急行は特急「北近畿」に格上げされることになったが、当車は引き続き豊岡で急行「丹後」「但馬」で使用された。兄弟の1110ともに豊岡配置でJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「丹後」「但馬」で使用されたが、1993年には豊岡区の急行運用が福知山へ統合され、当車も福知山へ移動した。モデルチェンジ車はアコモ改造の種車には選ばれず、急行の自由席車両として使用されていたが、1996年3月16日の山陰本線綾部電化で急行「丹後」は全廃となり、当車は活用されないまま1997年7月8日付で廃車となった。廃車後はタイ国鉄へ譲渡された。

当車は関西地区の特徴が色濃く残っている。
前面は、ワイパーは原型のWP35のままで、手すり類も原型のままである。制御用KE53ジャンパ受栓は、初期冷房車の位置にあり、冷房電源用KE7ジャンパ受栓の位置が他より低い位置にあり、珍しい。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット式のままである。
側面は、ほぼ原型である。
屋根上は、冷房化後手を加えられておらず標準的な冷房車の形態である。
床下機器もほぼ原型である。


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