キハ58 1111 → キロ59 554



キハ58系随一のぞろ目ナンバー車。

1968年6月18日新潟鐵工製の8-3次車で、昭和42年第3次債務で新潟に配置された。同一ロット1109〜1112では、1109が長野、1110・1111が新潟、1112が館山に配置されたが、仮配置後は全車和歌山に配置されている。当車は新潟に一旦配置の後7月には館山機関区へ転属した。房総地区の夏季海水浴臨に使用された後に、1968年9月2日付で本来の和歌山機関区へ配置された。和歌山では急行「きのくに」用としての増備であった。和歌山では1969年度には冷房化された。長く急行「きのくに」で使用され、1978年の紀勢西線電化後も「きのくに」は気動車のまま残り、当車も和歌山で引き続き使用された。「60-3」改正で特急「くろしお」に485系が投入され急行「きのくに」が格上・全廃されるのに伴い、当車は同ロットの仲間と揃って福知山へ転出することになり、1985年3月17日付で福知山機関区へ転出した。これは、福知山には車齢の高い若番車が集まっていたため、これを置き換えるためである。「61-11」改正では福知山線電化により当線の気動車急行は特急「北近畿」に格上げされることになったが、当車は引き続き福知山で急行「丹後」で使用された。兄弟の1112ともに福知山配置でJRへ継承された。1989年にジョイフルトレイン計画が持ち上がり、福知山に他区からの余剰車を転入させ状態の良いモデルチェンジ車を捻出し、1119とともに当車が種車に選ばれ、1989年10月23日付で「セイシェル」へと改造され「キロ59 554」へ改番された。その後は1999年10月2日の舞鶴・小浜線電化で福知山地区の非電化区間が消滅することから福知山運転所が廃止され、当車は豊岡鉄道部へ移動した。引き続き丹波地方で団体用として使用されていたが、老朽化のため、2005年3月31日付で廃車となった。

外観は、中途半端な正面デザイン変更が行われ、JR東日本の「おばこ」と並び、微妙な顔立ちになっていた。
前面は、タイフォン以外の主なパーツが取り払われ、のっぺりとした顔になっている。当初は幌枠も撤去されていたが、後年幌を使用する機会が多かったからか、幌枠が再設置されている。その際に、元々は新潟鉄工製のため切れ込みの無い幌枠が付いていたが、再設置された物は廃車発生品なのか、切れ込みのある幌枠となっている。種別表示幕が埋められ、そこにヘッドライトが移設されているのは「おばこ」と共通するが、「セイシェル」は丸目であった。そして元ヘッドライトの位置を埋めたうえで、そこにテールライトが外ばめ式の形状のまま移設されている。「セイシェル」改造時に、後藤工場タイプの前面補強が施工された。
側面は、前位側の乗降扉が撤去され、また側窓も一旦全て撤去した後に横長の連続窓風の窓に改造されている。汚物処理装置が取り付けられたので、その点検蓋が側面に設けられている。乗降扉下部の丸窓は、Hゴムが黒くなったものの残置したままである。
屋根上は、デッキ上部の通風器が撤去されている。後位側のクーラーが1つ撤去され、そこに強制換気扇が取り付けられている。
床下機器は、後位側に汚物処理装置が設置された以外はほぼ原型である。

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