キハ58 1113




1968年6月20日新潟鐵工製の8-3次車で、昭和42年第3次債務。館山に仮配置され、房総地区の夏季海水浴臨に使用された後に、1968年9月3日付で本来の和歌山機関区へ配置された。同一ロットでは1113〜1115が同じ動きを辿り和歌山へ配置された。和歌山では急行「きのくに」用としての増備であった。和歌山では1969年度には冷房化された。長く急行「きのくに」で使用され、1978年の紀勢西線電化後も「きのくに」は気動車のまま残り、当車も和歌山で引き続き使用された。「60-3」改正で特急「くろしお」に485系が投入され急行「きのくに」が格上・全廃されるのに伴い、当車は同ロットの仲間と揃って福知山へ転出することになり、1985年3月17日付で福知山機関区へ転出した。これは、福知山には車齢の高い若番車が集まっていたため、これを置き換えるためである。「61-11」改正では福知山線電化により当線の気動車急行は特急「北近畿」に格上げされることになったが、当車は引き続き福知山で急行「丹後」で使用された。兄弟の1114・1115ともに福知山配置でJRへ継承された。1990年3月の園部電化では急行には大きな変化はなく、当車は「丹後」に引き続き使用されるが、1991年3月のダイヤ改正で園部〜福知山間でワンマン運転化されることになり、このワンマン車には車齢の若いモデルチェンジ車が揃えられ、当車は兄弟の1114とともにワンマン化された。1991年3月5日鷹取工場での施工であった。ワンマン化後は当然普通列車専業となり、山陰本線・舞鶴線でキハ47とともに使用されたが急行色のまま残ったのが救いであった。なぜかキハ47のような黄緑色の福知山色にはならなかった。福知山では、1996年3月16日の園部〜綾部間電化後も引き続き舞鶴線や山陰本線城崎以西で使用されたが、1999年10月2日の小浜・舞鶴線電化で福知山運転所の気動車配置自体が消滅することとなり、当車は1999年10月2日付で高岡鉄道部へ転出した。高岡へは兄弟車を含む、1113・1114・1116が転出し、438・476・795が廃車となった。高岡ではしばらくは急行色で活躍したが、1999年度には車両延命工事を実施し、2000年にはワインレッドをベースにした新高岡色へ塗り替えられた。高岡ではワンマン車であることが幸いし、氷見・城端線で晩年まで使用されたが、加古川線電化によりキハ40系が高岡へ転入し、これと入れ替わるように2005年3月18日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が埋められている。前面補強はされていない。放送用ジャンパ受栓位置は関西タイプで和歌山時代の名残である。これにより福知山生え抜きの1116との区別は容易であった。
冷房化がなされているが、残念ながらいつの冷房改造化は不明。延命工事を施工しており、雨どいが埋め込み式となっておりすっきりした外観である。また延命の際にデッキ上の通風器が撤去された。水タンクは原型のままである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴であった。また、油タンクは角型の新型に更新されている。


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