キハ58 1116




1968年6月7日富士重工製の8-3次車で、昭和42年第3次債務で館山へ配置された。当ロットは当車1両のみである。館山へは夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の9月3日に次ロットの1117〜1119と共に福知山へ転属した。福知山ではキハ55系に混じり、山陰本線・福知山線の急行「丹後」「丹波」等で使用された。1970年頃には冷房化され、長く福知山で活躍した。国鉄末期の「60-3改正」では和歌山から状態の良いキハ58系が大量に福知山地区へ転入し、また国鉄最後の「61-11改正」で福知山線が電化され、福知山配置車は大幅に入れ替えとなったが、当車は後期車でありそのまま福知山に留まり急行「丹後」や普通列車で使用され、JR西日本へ継承された。1990年3月の園部電化では急行には大きな変化はなく、当車は「丹後」に引き続き使用されるが、1991年3月のダイヤ改正で園部〜福知山間でワンマン運転化されることになり、このワンマン車には車齢の若いモデルチェンジ車が揃えられ、当車はワンマン化された。1991年1月28日鷹取工場での施工であった。ワンマン化後は当然普通列車専業となり、山陰本線・舞鶴線でキハ47とともに使用されたが急行色のまま残ったのが救いであった。なぜかキハ47のような黄緑色の福知山色にはならなかった。福知山では、1996年3月16日の園部〜綾部間電化後も引き続き舞鶴線や山陰本線城崎以西で使用されたが、1999年10月2日の小浜・舞鶴線電化で福知山運転所の気動車配置自体が消滅することとなり、当車は1999年10月2日付で高岡鉄道部へ転出した。高岡へは兄弟車を含む、1113・1114・1116が転出し、438・476・795が廃車となった。高岡ではしばらくは急行色で活躍したが、2000年頃にはワインレッドをベースにした新高岡色へ塗り替えられた。高岡ではワンマン車であることが幸いし、氷見・城端線で晩年まで使用されたが、加古川線電化によりキハ40系が高岡へ転入し、これと入れ替わるように2005年3月31日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が埋められている。福知山時代に後藤工場標準の前面補強が施工されており、運転室側正面窓下の手すりも、短いものに改造されている。ワイパーはWP35のままである。放送用ジャンパ受栓位置は福知山標準の、タイフォン上部へ移設されている。これにより和歌山転入組の1113・1114との区別は容易であった。
屋根上は、モデルチェンジ車冷房車の標準であるが、デッキ上部の通風器は撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。また、油タンクは角型の新型に更新されている。


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