キハ58 1119 → キロ59 555



1968年6月15日富士重工製の8-3次車で、昭和42年第3次債務で館山へ配置された。同一ロット1107〜1119全車が館山に配置されたが、仮配置後は全車福知山に配置されている。館山へは夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の9月3日に1117〜1119共に福知山へ転属した。福知山ではキハ55系に混じり、山陰本線・福知山線の急行「丹後」「丹波」等で使用された。1970年頃には冷房化され、長く福知山で活躍した。国鉄末期の「60-3改正」では和歌山から状態の良いキハ58系が大量に福知山地区へ転入し、また国鉄最後の「61-11改正」で福知山線が電化され、福知山配置車は大幅に入れ替えとなったが、当車は後期車でありそのまま福知山に留まり急行「丹後」や普通列車で使用され、JR西日本へ継承された。1989年にジョイフルトレイン計画が持ち上がり、福知山に他区からの余剰車を転入させ状態の良いモデルチェンジ車を捻出し、1111とともに当車が種車に選ばれ、1989年10月23日付で「セイシェル」へと改造され「キロ59 555」へ改番された。その後は1999年10月2日の舞鶴・小浜線電化で福知山地区の非電化区間が消滅することから福知山運転所が廃止され、当車は豊岡鉄道部へ移動した。引き続き丹波地方で団体用として使用されていたが、老朽化のため、2005年3月31日付で廃車となった。

外観は、中途半端な正面デザイン変更が行われ、JR東日本の「おばこ」と並び、微妙な顔立ちになっていた。
前面は、タイフォン以外の主なパーツが取り払われ、のっぺりとした顔になっている。幌枠も撤去され、後年相方のキロ59 554は幌枠が復活していたが、当車は撤去されたままであった。種別表示幕が埋められ、そこにヘッドライトが移設されているのは「おばこ」と共通するが、「セイシェル」は丸目であった。そして元ヘッドライトの位置を埋めたうえで、そこにテールライトが外ばめ式の形状のまま移設されている。当車は福知山時代に前面補強されていたが、他の後藤工場施工車と異なり、平窓車のごとく正面窓下ぎりぎりまでのサイズの鉄板が貼り付けられ、ワイパー根元部には切り欠きがされていた。同スタイルはキハ58 1118にも見られた。
側面は、前位側の乗降扉が撤去され、また側窓も一旦全て撤去した後に横長の連続窓風の窓に改造されている。汚物処理装置が取り付けられたので、その点検蓋が側面に設けられている。乗降扉下部の丸窓は、Hゴムが黒くなったものの残置したままである。
屋根上は、デッキ上部の通風器が撤去されている。後位側のクーラーが1つ撤去され、そこに強制換気扇が取り付けられている。
床下機器は、後位側に汚物処理装置が設置された以外はほぼ原型である。

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