キハ58 1122




1968年6月25日富士重工製の8-3次車で、昭和42年第3次債務で勝浦へ配置された。同一ロットの1120〜1122全車が勝浦経由で米子へ配置された。勝浦へは夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の9月1日に同ロットの1120〜1122共に米子へ転属した。米子では急行「だいせん」「伯耆」「さんべ」で使用され、比較的早期の1970年度には冷房化された。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用された。国鉄最後の「61-11改正」以降はキハ58系の配置を鳥取に集約する動きがあり、1986年11月1日付で鳥取へ移動し、そのままJR西日本に継承された。JR化後も快速「とっとりライナー」等山陰本線で使用される。1997年には米子と鳥取の間で運用の移管があり、当車は1997年3月22日付で後藤へ転出した。その後も引き続き快速「とっとりライナー」や「石見ライナー」で使用されたが、2001年のキハ126系投入により余剰となり、2003年4月21日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が埋められている。後藤工場標準の前面補強が施工されており、運転室側正面窓下の手すりも、短いものに改造されている。ワイパーはWP35のままである。放送用ジャンパ受栓位置は原型の、ステップ下部にある。
屋根上は、モデルチェンジ車冷房車の標準であるが、デッキ上部の通風器は撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。タブレットキャッチャー取付座と保護板は撤去されている。その他は原型のままである。
床下はほぼ原型のままである。


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