キハ58 1125




1968年7月2日富士重工製の8-3次車。昭和42年第3次債務で勝浦に仮配置され、房総地区の夏季海水浴臨に使用された後に、1968年9月1日付で本来の米子機関区へ配置された。同一ロット1123〜1125全てが同じ動きを辿り米子へ配置された。米子では急行「だいせん」「伯耆」「さんべ」で使用され、比較的早期の1970年度には冷房化された。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、そのままJR西日本に継承された。JR化後も快速「しまねライナー」等山陰本線で使用される。1991年5月14日、信楽高原鉄道でキハ58系による正面衝突事故が発生し、その際にキハ58 1023は大破し即廃車、キハ58 595と1030は大破を免れたが、結局1993年に595と1030も廃車となることになり、その代用として1051と1125が向日町へ転入した。転入後、1994年2月25日付で他の向日町配置車と同じく汚物処理装置が取り付けられ、波動用車として使用された。1996年3月には組織改正で向日町運転所は京都総合車両所と名称を変えたが、運用の実態は同じであった。しかしながらキハ58系の老朽化により波動輸送がキハ181系化されることになり、2002年1月15日付けで廃車になった。

前面は、前面補強は施工されておらず、正面窓下の手すりも原型のままである。
屋根上は、モデルチェンジ車冷房車の標準であり、デッキ上部の通風器も残存している。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。後位側には循環式汚物処理装置用の点検口が設置されている。
床下は後位側に汚物処理装置が設置されている。


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