キハ58 1128




1968年7月10日富士重工製の8-3次車で、昭和42年第3次債務で勝浦へ配置された。同一ロットの1126〜1128全車が勝浦経由で米子・鳥取へ配置された。勝浦へは夏季海水浴輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の9月3日に鳥取へ転属した。鳥取では山陰本線系の急行で使用され、急行「砂丘」「白兎」「但馬」「みささ」等で使用された。1970年代前半には冷房化されたものと思われる。山陰地区は近代化が遅れ、晩年まで車両の動きも少なかった。国鉄末期の急行削減後もある程度の急行は残り、更に余剰車は都市間快速や客車置き換えで普通列車に使用され、同一ロットの仲間と共に鳥取配置のままJR西日本に継承された。JR化後も快速「とっとりライナー」等で使用される。1996年には米子と鳥取の間で運用の移管があり、当車は1996年3月16日付で米子へ転出した。その後組織変更で1997年3月8日付で米子運転所は後藤総合車両所と変わった。その後も引き続き快速「とっとりライナー」や「石見ライナー」で使用されたが、2004年のキハ126系投入により余剰となり、2005年2月18日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が埋められている。後藤工場標準の前面補強が施工されており、運転室側正面窓下の手すりも、短いものに改造されている。ワイパーはWP35のままである。放送用ジャンパ受栓位置は原型の、ステップ下部にある。
屋根上は、モデルチェンジ車冷房車の標準であるが、デッキ上部の通風器は撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。タブレットキャッチャー取付座と保護板は撤去されている。その他は原型のままである。
床下はほぼ原型のままである。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る