キハ58 1129 → キロ59 551



JR化後「ほのぼのSUN-IN」へ改造され、JR西日本の気動車ジョイフルトレインとしては最末期まで使用された車両。

1968年7月19日富士重工製の8-3次車で、勝浦に仮配置され房総地区の夏季海水浴臨に使用された後に、1968年9月3日付で本来の鳥取機関区へ配置された。同一ロットでは1130が同じ動きを辿り鳥取へ配置された。鳥取では急行「白兎」「但馬」「砂丘」「みささ」で使用された。鳥取では比較的早期の1970年度には冷房化された。兄弟の1130が非冷房のまま残り、晩年たらい回しにされたのとは対照的であった。鳥取配置のままJR化を迎え、JR化直後の1987年10月24日付で、後藤工場でお座敷気動車「ほのぼのSUN-IN」のキロ59 551へ改造され、米子へ配置となった。1997年には組織改正で後藤総合車両所配置と名称が変わったが、実態はそのままであった。山陰本線の高速化でキハ126系が投入されキハ58系が淘汰された際に当車も老朽化を理由に運用停止し、2010年3月31日付で廃車となった。

外観的には、ほのぼのSUN-INへ改造されているものの、原形をよく残していた。
前面は、正面窓上の通風口が埋められている。前面補強は後藤工場式のモデルチェンジ車用前面補強板が取り付けられており、それに併せ運転室側窓下手すりが短くなっているのは他の米子地区モデルチェンジ車と同じである。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が残っている。改造により一部の窓と前位側の乗降扉が埋められている。また窓は固定式に改造されている。タブレットキャッチャーは最後まで残ったままだった。また、後位側には循環式汚物処理装置用の点検口が設置されている。
屋根上は、後位側の冷房が1つ撤去され、冷房準備車に似た蓋がしてある。また換気扇が増設されている。デッキ上の通風器も残存していた。
床下機器は原形で、台車は原色の黒であった。また、ジョイフルトレインとして各地へ入線することから、汚物処理装置が取り付けられていた。


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