キハ58 1130



数少ないキハ58 1100番台の非冷房車。

1968年7月19日富士重工製の8-3次車で、勝浦に仮配置され房総地区の夏季海水浴臨に使用された後に、1968年9月3日付で本来の鳥取機関区へ配置された。同一ロットでは1130が同じ動きを辿り鳥取へ配置された。鳥取では急行「白兎」「但馬」「砂丘」「みささ」で使用された。1976年9月4日には車両交換で米子へ転出した。1970年代末期に山陰地区では若干非冷房車が残っており、1978〜1979年に駆け込みで一部車両は冷房改造されたが、当車は不運にも非冷房のままとなり、1980年以降冷房化されなかった。1980年代は他地区から冷房車を転配する方法が取られ、当車は他区から転入した冷房車と入れ替わり、1980年10月18日付で美濃太田へ転出し、キハ55の置き換えに使用された。しかし美濃太田でも普通列車の冷房化を進めており、急行削減で冷房車を転用できるようになった「59-2改正」で、更に転用されることとなり、1984年2月9日付で長野へ転出、飯山線の普通列車でキハ55に代わり使用されるようになった。しかし長野でも長く続かず、「61-11改正」で急行「野沢」が廃止された関係で余剰車が発生し、当車は1986年11月度中に小海線用に中込へ転出、そのままJR東日本に継承された。JR化後は引き続き小海線で使用され、同線は勾配路線でキハ58のみで組成するため、非冷房車でも問題なかった。1991年に小海線にキハ110系が投入され、車齢の若い当車は引き続き活用されることとなり、1992年1月11日付で新津へ転出した。前後して1992年3月に機関がカミンズ製DMF14HZに交換され、また塗装も「新潟色」へ変更された。1993年に磐越西線へキハ110系が投入されたため主に米坂線で活躍していたが、1998年に、キハ110系化で飯山線を追われたキハ52が大量に新津へ転入し、当車は2000年2月24日付で廃車となった。

前面は、JR化後に郡山工場で前面補強が施工され、台座付きの手すりやアンチクライマーが特徴であった。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。暖地車が寒冷地である新潟に転属したからか、運転席側にデフロスタが取り付けられている。当車は前面補強施工時に、非冷房車でありながら制御ジャンパ受栓が冷房車と同様の位置へ移設されたのが珍しい。
側面では、乗降ドア隅の丸穴は板で塞がれており、JR東日本の標準形態である。機関換装時に給水口が埋められている。側面ほぼ中央部の窓間下部に、サボ差しが追加されている。
屋根上は、原型の冷房準備車の形態のままである。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。油タンクは新潟地区では少数の、角型タンク交換車である。


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