キハ58 1131



1968年7月19日富士重工製で、昭和42年第3次債務の17次車。勝浦に仮配置され、房総地区の夏季海水浴臨に使用された後に、1968年8月28日付で本来の鹿児島機関区へ配置された。同ロット1129〜1131のうち、鹿児島へ本配置されたのは当車のみであった。鹿児島では急行「フェニックス」等の鹿児島本線・日豊本線の幹線急行や九州南部の急行で使用され、1969年度には冷房化されている。そのため、冷房準備車で活躍したのは1冬のみであった。両線の電化後も支線急行で使用されたが、1980年の鹿児島地区急行の格下げ後は快速「錦江」「大隅」「やたけ」等で使用されたり、日南・肥薩・指宿枕崎線の普通列車で使用されるようになった。国鉄末期になると急行・快速の編成短縮により余剰車が発生し、当車はイベント車として活用されることになり、1986年3月度に481系発生品の回転クロスシート化と共に塗装変更され、「らくだ」として使用されるようになった。そしてそのままJR九州へ継承された。引き続き団体・臨時用として使用されたが、1990年中盤以降は九州内のジョイフルトレイン縮小化されることになり、当車は1993年頃に近郊化改造され塗装も九州色へ変更、一般車となった。その後もワンマン化されず指宿枕崎線等で使用されていたが、1997年10月のキハ200系熊本地区への投入による車両の転配で、鹿児島地区のキハ58系はワンマン車で統一されることになり、非ワンマン近郊形の当車は、11月29日付で長崎へ転出した。長崎では快速「シーサイドライナー」をはじめ長崎・大村線の普通列車で活躍した。2000年以降はJR九州では汚物処理装置取付100%化するため、2001年3月27日同装置が取り付けられた。しかし2001年10月6日の筑豊・篠栗線電化によりキハ66・67が長崎へ転入し始め余剰となり、一旦2001年10月6日付で豊肥久大鉄道事業部へ転出するも、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されている。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等はタイフォンの両サイド。ステップの位置は、かなり低く、台枠付近にある。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、九州タイプではなく原型のものを装備する。鹿児島時代からフック式のヘッドマーク掛けが貫通扉に取り付けられている。
屋根上はデッキ通風器がすべて撤去されている。また排気口が屋根より若干飛び出しているのは九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。タブレット保護板及びタブレットャッチャー台座は撤去されている。側面の強制換気グリルは撤去されている。
床下では、スカート下部のスノープロウが撤去されている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しており、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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