キハ58 1132



九州最後の波動列車用キハ58系として活躍したうちの1両。また、九州最後のモデルチェンジ車でもあった。

1968年11月29日新潟鉄工製の8-4次車で、昭和43年度民有で鹿児島機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット1132〜1135では1132・1133が鹿児島へ配置されている。鹿児島では鹿児島本線・日豊本線の幹線急行や九州南部の急行で使用され、1969年度には冷房化されている。そのため、冷房準備車で活躍したのは1冬のみであった。両線の電化後も支線急行で使用されたが、1980年の鹿児島地区急行の格下げ後は快速「錦江」「大隅」「やたけ」等で使用されたり、日南・肥薩・指宿枕崎線の普通列車で使用されるようになった。そのままJRへ継承された。1988年には急行の体質改善で熊本へ移動し、1989年には九州急行色へ変更された。車内は原型のままとされ、急行「えびの」「くまがわ」の増結車や、普通列車用として使用された。1993年には「えびの・くまがわ」車はアコモ改造車で統一することになり、当車は直方へ移動し波動輸送用となる。直方から筑豊篠栗鉄道事業部と組織改正後も引き続き波動用として在籍した。そのため大きな改造は施されていない。1990年代末期には、波動用車両の塗装が九州色へ統一されることとなり、九州色へ変更された。当車は2000年以降引き続き当面使用する車両となり、2001年6月6日付で汚物処理装置の取り付けが行われた。引き続き貴重な九州色・原型車内の車両として波動輸送に使用されていたが、老朽化により2005年には保留車となるが、平成筑豊鉄道で行われるロケのモデルとして抜擢され、比較的忠実に急行色へ復元された。不幸にもロケは中止となってしまったが、イベントで本線走行し、最後の活躍をした。その後はJR九州へ返却され、そのままの塗装でマヤ検等に使用されたが、すぐに保留車となり、2007年6月29日付けで廃車・解体となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っている。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1969年度であると思われる。
前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されている。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等はタイフォンの両サイド。助手席側ステップの位置は、標準より少し高い。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。タイフォンカバーは、九州タイプではなく原型のものを装備する。熊本時代からフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
屋根上はデッキ通風器がすべて撤去されている。また排気口が屋根より若干飛び出しているのは九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。乗降ドア点検蓋は、後期車標準の横長のものとなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。タブレット保護板及びタブレットャッチャー台座は撤去されている。側面の強制換気グリルは残置されている。
床下では、スカート下部のスノープロウが撤去されている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備している。機関予熱器が撤去されずに残存しているのが、末期の九州車では珍しかった。また循環式汚物処理タンクを装備している。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る