キハ58 1137



1968年12月18日富士重工製の8-4次車で、昭和42年民有債で奈良へ配置された。当ロットは1137のみである。奈良では急行「かすが」「はまゆう」等で使用されたが、1973年10月の改正で受け持ちの変更があり、和歌山に配置されていた一般型気動車を奈良へ集約し、奈良の急行型気動車を和歌山へ集約する動きがあり、1973年10月1日で和歌山へ移動した。以降は「かすが」の他、「きのくに」「はまゆう」等でも使用された。奈良時代は非冷房であったが、和歌山転出後、1970年代中盤に冷房化されたものと思われる。1978年の紀勢西線電化後も「きのくに」は気動車のまま残り、当車も和歌山で引き続き使用された。「60-3」改正で特急「くろしお」に485系が投入され急行「きのくに」が格上・全廃されるのに伴い、当車は同ロットの仲間と揃って丹波地方へ転出することになり、1985年3月26日付で福知山機関区へ転出した。これは、福知山には車齢の高い若番車が集まっていたため、これを置き換えるためである。「61-11」改正では福知山線電化により当線の気動車急行は特急「北近畿」に格上げされることになったが、当車は引き続き福知山で急行「丹後」で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「丹後」「但馬」で使用されていたが、1992年より開始されたアコモ改造の種車にはモデルチェンジ車は選ばれず、晩年は急行の自由席車両として使用されていた。1996年3月16日の山陰本線綾部電化で急行「丹後」は全廃となり、当車は活用されないまま1997年7月8日付で廃車となった。廃車後はタイ国鉄へ譲渡された。

当車は関西地区の特徴が色濃く残っている。
前面は、ワイパーは原型のWP35のままで、手すり類も原型のままである。制御用KE53ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置され、運転席側ステップは撤去されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット式のままである。
側面は、ほぼ原型である。
屋根上は、冷房化後手を加えられておらず標準的な冷房車の形態である。
床下機器もほぼ原型である。


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