キハ58 1142



1969年1月10日富士重工製の8-4次車で、昭和43年民有債で竹下気動車区へ配置された。同ロット1141〜1142のうち、当車のみ竹下配置であった。当車は次ロットの1143と似たような人生を歩んだ。竹下では新製直後の1969年度に冷房化され、「いなさ・弓張」等長崎本線系統の急行で活躍した。1976年の長崎本線電化やその後の急行から特急への格上げ後も引き続き残留し、北九州地区の普通・快速列車で使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後は主に香椎線・篠栗線の普通列車で使用されたが、1989年から急行「えびの」「由布」の急行運用が復活し、ボックスシートの当車は主に多客期の増結に使用されるようになった。そのため1989年度には九州急行色となった。1991年3月16日には竹下区は直方区へ統合され、先に直方へ転出していた1143と共に、九州急行色で波動用や普通列車用として使用された。しかしながら波動輸送の減少やキハ200形の投入によるキハ40系の転用により余剰となり、兄弟の1143と共に1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、前面補強が未施工となっている。ワイパーはWP35のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は九州標準の位置で、ステップの位置は原形のままである。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、運転席側のみ、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。また、竹下時代に急行の増結に使用された名残から、フック式のヘッドマーク掛けが貫通扉に取り付けられている。
屋根上は、排気口が屋根より若干飛び出している以外、概ね原型である。
側面はおおむね原型であるが、400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。タブレットャッチャー台座は撤去されている。
床下では、スカート下部のスノープロウが撤去されている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しており、機関予熱器は残存している。


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