キハ58 1503



1968年2月7日日本車輌製の8-1次車で、昭和42年度本予算(追加)で青森運転所へ配置された仲間の1両。同一ロットでは1501〜1505が同日に青森へ配置されている。青森では急行「しらゆき」等で使用された。1973年には青森運転所が手狭になったことから急行気動車は盛岡・秋田へ転出することとなり、当車は1501〜1505揃って1973年10月1日付で秋田運転所へ転出した。秋田では冷房準備車であることから急行「しらゆき」自由席車や急行「おが」等で使用された。秋田では東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行廃止により余剰となり、キハ55系置き換えのため1982年11月23日付で盛岡機関区へ転出した。盛岡機関区では花輪線・山田線・釜石線ローカルで使用されるようになり、そのままJRへ継承された。盛岡では1988年7月に盛岡色へ変更、1991年10月には機関換装が行われた。モデルチェンジ車であるが状態不良であったためか廃車は早く、秋田新幹線工事のため田沢湖線が休止になった際に余剰となり、1996年12月24日付で廃車となった。

前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強はJR化後の土崎工場施工であり、補強鉄板の縁が目立たない。ワイパーはWP35のままであり、手すりも原型のままである。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。デフロスタは、モデルチェンジ車は熱線入りガラスのため付いてない。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上は列車無線アンテナが取り付けられている以外は、冷房準備車の原型のままである。当ロットは屋根上水タンクが平窓車同様の形態である。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。乗降ドア下部の丸穴は撤去されている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
床下では、機関は新潟製DMF13HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは原型のままである。国鉄秋田時代に汚物処理装置が取り付けられている。


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