キハ58 1518



1968年3月21日新潟鉄工製の8-2次車で、昭和42年度第二次債務で青森運転所へ配置された仲間の1両。同一ロット1516〜1519全車が青森へ配置されている。青森では急行「しらゆき」等で使用された。1973年には青森運転所が手狭になったことから急行気動車は盛岡・秋田へ転出することとなり、当車は1519と共に1972年度中に盛岡機関区へ転出した。盛岡では急行「陸中」等、山田・釜石・花輪線系統の急行で使用された。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行廃止により余剰となるが、キハ55系置き換えのため花輪線・山田線・釜石線ローカルで使用されるようになった。「60-3改正」では急行「陸中」の冷房化が行われ、各地から冷房キハ58が転入し、これと入れ替わるように当車は1985年3月14日付で秋田へ転出した。秋田では男鹿線・田沢湖線等の普通列車で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は、1991年12月に機関がコマツ製DMF11HZへ換装され1992年頃に秋田色に変更された。1996年3月には秋田新幹線工事のため田沢湖線が全面運休となり、また701系投入により電化区間普通列車の電車化も進み、1997年6月2日付で廃車となった。


前面は、正面窓上の通風口が残置されている。前面補強は施工されていない。ワイパーは強化型のWP50に更新され、正面窓下の手すり位置が大幅に下がった、盛岡地区標準スタイルである。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。デフロスタは、モデルチェンジ車は熱線入りガラスのため付いてない。
屋根上は冷房準備車の原型のままである。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。乗降ドア下部の丸穴は撤去されている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。


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