キハ58 1519



1968年3月21日新潟鉄工製の8-2次車で、昭和42年度第二次債務で青森運転所へ配置された仲間の1両。同一ロット1516〜1519全車が青森へ配置されている。青森では急行「しらゆき」等で使用された。1973年には青森運転所が手狭になったことから急行気動車は盛岡・秋田へ転出することとなり、当車は1518と共に1972年度中に盛岡機関区へ転出した。盛岡では急行「陸中」等、山田・釜石・花輪線系統の急行で使用された。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行廃止により余剰となるが、キハ55系置き換えのため花輪線・山田線・釜石線ローカルで使用されるようになった。盛岡配置のままJRへ継承された。盛岡では1988年8月に盛岡色へ変更、1991年11月には機関換装が行われた。1998年に花輪線内で土砂災害による脱線事故に遭遇し、1998年10月20日付で廃車となった。

前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強はJR化後の土崎工場施工であり、補強鉄板の縁が目立たない。ワイパーは強化型のWP50に更新され、正面窓下の手すり位置が大幅に下がった、盛岡地区標準スタイルである。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。デフロスタは、モデルチェンジ車は熱線入りガラスのため付いてない。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上は冷房準備車の原型のままである。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。乗降ドア下部の丸穴は撤去されている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
床下では、機関は新潟製DMF13HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。

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