キハ58 1521



1968年2月27日新潟鉄工製の8-2次車で、昭和42年度第二次債務で札幌運転区へ配置された仲間の1両。同一ロット1520〜1523のうち、1521〜1523が同日に札幌へ配置されている。札幌へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月11日付で本来の配置区である秋田機関区へ異動した。秋田では急行「おが」「しらゆき」等で使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」時には、幹線急行が軒並み格上げ廃止され、多くの仲間は他区へ転出するが、当車は引き続き秋田に残留し、男鹿線・田沢湖線等の普通列車で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は、1992年1月に機関が新潟製DMF13HZへ換装され1992年頃に秋田色に変更された。1993年12月1日付で弘前へ転出するが、翌1994年12月3日には秋田へ戻っている。1996年3月には秋田新幹線工事のため田沢湖線が全面運休となり、また701系投入により電化区間普通列車の電車化も進み、1997年6月2日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が撤去されており、JR東日本の未更新車では比較的珍しい。前面補強はJR化後の土崎工場施工であり、補強鉄板の縁が目立たない。ワイパーは原型のWP35のままで、1500番台では珍しい存在。なお正面窓下の手すりは変更されていない、秋田地区標準スタイル。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。デフロスタは、モデルチェンジ車は熱線入りガラスのため付いてない。
屋根上は列車無線アンテナが取り付けられている以外は、冷房準備車の原型のままである。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。乗降ドア下部の丸穴は撤去されている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。汚物処理タンク装備車同様の点検蓋が便所部側面に設けられているが、汚物処理装置は取り付けられていない。一旦取り付けられた後に汚物処理装置を撤去したのか、それとも準備工事だけであったのかは不明である。
床下では、機関は新潟製DMF13HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは原型のままである。


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