キハ58 1523



JR東日本盛岡地区で末期まで使用されたキハ58形の1両。

1968年2月27日新潟鉄工製の8-2次車で、昭和42年度第二次債務で札幌運転区へ配置された仲間の1両。同一ロット1520〜1523のうち、1521〜1523が同日に札幌へ配置されている。札幌へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月16日付で本来の配置区である山形機関区へ異動した。山形に配置されたモデルチェンジ車は当車と兄弟の1522のみであった。山形では急行「ざおう」「出羽」等で使用された。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行廃止によりローカル用に転用となり、引き続き支線急行や普通列車に使用された。国鉄最後の「61-11改正」では秋田局管内で使用形式の変更があり、キハ40系等と入れ替わり、1986年10月29日付で秋田へ転属し、そのままJRへ継承された。秋田では男鹿線や田沢湖線の普通列車を中心に活躍し、1989年10月には機関換装の第1陣として改造が行われた。1990年代のキハ110系投入による各形式の入れ替えで当車は1992年3月30日付で弘前運転区へ転属し、五能線や花輪線で活躍するようになった。弘前時代に弘前色へ塗装変更された。1994年には快速「八幡平」運用が盛岡へ移管されるのに伴い、1994年12月3日付けで盛岡へ転出した。転出後は盛岡色へ塗り替えられ、山田線や花輪線で活躍した。2000年以降になるとキハ58系自体が珍しい存在となり、当車は2002年1月15日付で国鉄急行色に復元され廃車まで活躍した。最後はキハ130系の水郡線投入による玉突きでキハ110系が盛岡へ転入したことにより余剰となり、2008年3月26日付けで廃車になった。

外観は機関換装以外はよく原型を保っていた。
前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強は施工されておらず、すっきりした表情である。ワイパーは強化型のWP50に更新されている。正面窓下の手すり位置は、山形時代の急行「ざおう」で活躍している時代から欠損している。タイフォンカバーは国鉄・山形時代にシャッタがー取り外されていたが、秋田へ移った後にシャッターが復元された。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。デフロスタは、モデルチェンジ車は熱線入りガラスのため付いてない。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上は列車無線アンテナ及び花輪線用の衛星アンテナが取り付けられている以外は、冷房準備車の原型のままである。
側面は、機関換装の最初期グループで、給水口残存している変形車。乗降ドア下部の丸穴は撤去されている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。乗降ドアの戸袋点検蓋は、横長のものから、初期車のような正方形に近い形状に変更されているのが珍しい。汚物処理タンク装備車同様の点検蓋が便所部側面に設けられているが、汚物処理装置は取り付けられていない。一旦取り付けられた後に汚物処理装置を撤去したのか、それとも準備工事だけであったのかは不明である。
床下では、機関は新潟製DMF13HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。


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