キハ58 1526



JR東日本 会津若松運輸区に配置され、只見線で最末期まで使用されたキハ58のうちの1両。只見線で唯一のモデルチェンジ車であった。

1968年4月24日新潟鉄工製の8-2次車で、昭和42年度第2次債務で釧路機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは1524〜1527が同日に釧路へ配置されている。釧路へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月14日付で本来の配置区である小牛田機関区へ異動した。兄弟の1524・1525は盛岡へ、1527は秋田へ正式配置されたため、兄弟離散であった。小牛田へ新製配置された唯一のモデルチェンジ車であった。小牛田では急行「たざわ」「陸中」等の東北本線北部の幹線急行で使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」で急行が廃止されたことにより、当車は郡山のキハ55系の置き換えとして活用されることになった。郡山では磐越東・西線、会津・只見線で普通列車用に使用されるようになり、そのままJR化を迎えた。JR化後は、引き続き郡山配置でローカル輸送にに使用され、1990年10月に車両更新及び機関更新が行われ、機関がコマツ製DMF11HZへ換装された。1992年3月11日には磐越東線キハ110系化により新庄運転区へ転出、奥羽本線や陸羽西線で使用されるようになる。また前後して東北地域本社色へ変更された。新庄時代は長続きせず、1993年の左沢線キハ101投入によりキハ40が捻出された関係で只見線へ移籍することになり、1993年12月1日付けで会津若松運輸区へ転属した。1998年には転入したキハ40系に置き換えられ余剰となるが、盛岡のキハ58 1508及び1519が事故廃車された代替として、1040とともに1998年12月22日付で盛岡へ転属した。しかし、盛岡では1040とともに実際に使用されることはなく、塗装も東北地域本社色のまま、2001年5月7日付で廃車となった。

数少ない東北南部のモデルチェンジ車で、独特の形態をしていた。
前面は、他の更新車同様、正面窓上の通風口が埋められている。前面補強はJR化後の郡山工場タイプであり、台座の付いた正面窓下手すりが特徴だが、台枠付近のアンチクライマーは付いていない。ワイパーは強化型のWP50に更新されている。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。放送用ジャンパ受栓は原型のままである。デフロスタは、熱線入りガラスに交換されたため残っていない。
屋根上は列車無線アンテナ及び只見線用の衛星アンテナが取り付けられている以外は、冷房準備車の原型のままである。
側面は更新車のため乗降ドアが全て交換されており、ドア下の丸窓やタブレット保護柵用の窪みの無いものとなっている。また、機関換装時に給水口が埋められている。洗面所が撤去されているため当該箇所の臭気抜き窓が無くなっている。乗降ドアの点検蓋はキハ40系のようなユニット式に更新されている。助手席側乗務員ドアと乗降ドアの間にあったタブレット保護板は撤去されている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。汚物処理装置は取り付けられていない。


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