キハ58 1527


1999年頃

1968年4月24日新潟鉄工製の8-2次車で、昭和42年度第2次債務で釧路機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット1524〜1527全車が同日に釧路へ配置されている。釧路へは北海道夏季輸送の仮配置であり、夏季輸送終了後9月14日付で本来の配置区である秋田運転区へ異動した。兄弟の1524・1525は盛岡へ、1526は小牛田へ正式配置されたため、兄弟離散であった。秋田では急行「おが」「しらゆき」等で使用された。1973〜1974年には急行「しらゆき」の指定席車冷房化を行うことになり、この頃に冷房化された。秋田では長く使用されたが、東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行「しらゆき」が廃止となり多くの仲間が秋田を去るが、当車は急行「むつ」用として引き続き秋田に残留した。しかしその急行「むつ」も「60-3改正」時に特急化され秋田担当の急行が無くなり、当車は同改正で冷房化される急行「陸中」に使用するため、1985年3月14日付で盛岡機関区へ移動し、そのままJR化を迎えた。盛岡では、急行「陸中」に使用され、JR化直後の1987年7月頃には盛岡色へ塗り替えられた。しかし盛岡時代は長くなく、「エーデルワイス」の種車となるキハ58 619と入れ替えに1988年3月16日付で山形へ転属した。山形では急行「月山」を中心に使用され、1990年頃には急行色へ戻された。その後1990年代に入り機関換装が実施されることになり、当車は急行色に塗り戻されて間もなくの1990年11月度にコマツ製DMF11HZ機関へ換装されるとともに、車両更新工事が施工された。当車は珍しく、車体更新後も急行色のまま活躍した。そして1991年には快速「月山」がアコモ改造車で運用されるようになり、当車は快速「南三陸」に転用され、1991年3月16日付で小牛田へ転出した。小牛田転出後1993年6月11日付で前面補強が施工され、おそらく同時に「東北地域本社色」へ変更されたものと思われる。その後も更新車・モデルチェンジ車であることから長く使用され、2000年代に入り快速「南三陸」用に余剰のキハ40系が転入し、当車は2000年5月1日付で廃車となった。後年は原型を保つキハ58型1500番台冷房車として人気が高かった。

外観は、数少ない1500番台冷房車で貴重であった。
前面は、他の更新車同様、正面窓上の通風口が埋められている。前面補強はJR化後の郡山工場タイプであり、台座の付いた正面窓下手すりが特徴だが、台枠付近のアンチクライマーは付いていない。ワイパーは強化型のWP50に更新されている。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。放送用ジャンパ受栓は原型のままである。デフロスタは、熱線入りガラスに交換されたため残っていない。
屋根上は冷房車の標準スタイルである。
側面は更新車のため乗降ドアが全て交換されており、ドア下の丸窓やタブレット保護柵用の窪みの無いものとなっている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。また、機関換装時に給水口が埋められている。便所窓は横長の長方形となっている。乗降ドアの点検蓋は更新車にもかかわらずキハ40系のようなユニット式になっておらず原形のままである。助手席側乗務員ドアと乗降ドアの間にあったタブレット保護板は撤去されている。国鉄時代、秋田在籍が長かったため汚物処理装置が付いていたが、JR化後に盛岡から山形に転出した際に撤去され、その痕跡はあまり見られない。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。
妻面は情報が無く詳細不明であり、イラストでは標準的なモデルチェンジ車の形態で描いているが実車と相違があるかもしれない。


なお末期の姿以外に時系列で外観の変遷を示す。


↑57-11改正前の1982年頃の姿。オーソドックスなモデルチェンジ冷房車の姿であまり特徴は無い。秋田では循環式汚物処理取付が積極的に実施されており、同車も取り付けていた。




↑JR化直後1987年頃の姿。列車無線アンテナとJRマークが付いている。このほか時期不詳だがKE66ジャンパ栓納めが移動し、架線注意の札取り付けと危険防止のゼブラ板を正面窓上に取り付け、乗降ドア下部の丸窓撤去などが行われている。ただしJR化後も前位側乗降ドアのタブレット保護柵は付いたままであった。




↑盛岡色塗り替え後の1987年下期の姿。急行色時代とあまり時間差が無いので色以外形態の差は少ないが、側面前位側乗降ドアのタブレット保護柵は無くなっている。




↑機関換装・車両更新後の1991年頃の姿。山形ではまだ地域色が設定されていなかったので急行色のまま更新されている。更新により洗面所撤去、ドア交換、1位側タブレット保護板撤去、正面通風口撤去、ドア沓摺のSUS化など外観の差がみられる。また汚物処理装置は機関換装・更新工事に先立って撤去されているようで、更新の際に側面にあった点検蓋も無くなっているようである。また正面窓運転席側にはデフロスタが増設されているが、これが更新時の施工なのか、それ以前から施工されているのかは不明である。なおこの時点では前面補強は施工されておらず、タブレットキャッチャー台座はそのまま残っており、床下の油タンクも原形のままである。また更新後も乗降ドア戸袋点検蓋はユニット化されておらず原形のままである。



↑前面補強が施工された1993年頃の姿。郡山にて施工され、ブロック式の補強板が取り付けられている。そのため正面窓下の手すり根元は台形状の台座の上にある。JR化後の郡山式前面補強では標識灯掛けが補強板と溶接付けになっているのが標準であるが、当車は平窓初期車のようにビス止めになっておりモデルチェンジ車(パノラミックウィンドウ車)では珍しい。引き続き正面窓にはデフロスタが取り付けられている。また前面補強と同時かどうかは不明であるが、床下の油タンクが角型のものに交換されている。

なお冒頭のイラストは最末期の1999年頃の姿であるが、1993年頃と比べると正面窓のデフロスタが無くなり、乗務員ドア下部に作業性向上のため手掛けが追設された。



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