キハ58 1533



JR東日本盛岡地区で末期まで使用されたキハ58形の1両。

1968年12月9日新潟鉄工製の8-4次車で、昭和43年度民有で新潟運転所へ配置された仲間の1両。同一ロットでは1534が同日に新潟へ配置されている。1500番台では1534とともに唯一の8-4次車であった。新潟では急行「赤倉」「羽越」「いいで」等で使用された。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行廃止により余剰となり、小海線のキハ55系置き換えのため1982年11月20日付で中込機関区へ転出した。そして中込配置のままJRへ継承された。1990年より小海線にキハ110系投入が始まり、当車はモデルチェンジ車で状態も良いことから活用されることになり、1991年9月28日付で古巣の新潟運転所へ転属した。新潟では磐越西線や米坂線のローカルで使用されることになった。1991年11月には新潟運転所が廃止され新津運輸区へ組織変更した。新津転属後は1992年4月に機関換装され、それと前後し新潟色へ変更された。新津時代は長くなく、1993年には磐越西線にキハ110系が投入されたことにより、1993年12月1日付で小牛田へ転属、陸羽東線・石巻線で使用されることになった。小牛田転出後もしばらくは新潟色のまま使用されていたが、後に東北地域本社色へ変更された。しかし同色の記録はあまり残っていない。小牛田では各地から冷房車が転入し非冷房車キハ58は次第に持て余すようになったが、1998年の花輪線落石事故による廃車補充のため盛岡へ転出した。盛岡転出後は花輪線・山田線で晩年まで活躍し、他との相違点の多い変形車として同線キハ58系活躍の最後まで使用された。最後はキハ130系の水郡線投入による玉突きでキハ110系が盛岡へ転入したことにより、2008年3月30日付けで廃車になった。

外観は、晩年の盛岡配置のモデルチェンジ車とは相違点が多く、変形車であった。
前面は、正面窓上の通風口が埋められている。前面補強はJR化後の郡山工場タイプであり、台座の付いた正面窓下手すり及び台枠付近のアンチクライマーが特徴であった。同タイプの前面補強は盛岡では当車のみであった。ワイパーは原型のWP35のままで、これも盛岡では少数派。タイフォンカバーは中込時代に長野タイプのスリット式に改造されており、寒冷地の新津・盛岡でもこの形態で使用されていたのは特異であった。制御用ジャンパ受栓は冷房車と同様の位置にあり、これは当次車の新製時からの形態であった。放送用ジャンパ受栓は平窓後期車のような形態であり、珍しい。デフロスタは、モデルチェンジ車は熱線入りガラスのため付いてない。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上は列車無線アンテナ及び花輪線用の衛星アンテナが取り付けられている以外は、冷房準備車の原型のままである。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。乗降ドア下部の丸穴は鉄板で塞がれたままで、盛岡では唯一の存在であった。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
床下では、機関はカミンズ製DMF14HZへ換装されており、これまた盛岡では唯一であった。機関換装と同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは盛岡転入後もしばらく原型であったが、2000年頃に角型のものに交換されている。


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