キハ58002



1961年12月16日日本車輌製で富士急行が新製・所有した。当時の国鉄のキハ58では3次車に該当する。富士急行は全線電化の私鉄であったが、当時気動車急行が活躍していた中央東線に乗り入れ、新宿までの直通列車を運行する計画を持っていた。これを実現するため併結相手のキハ58系と同等の車両を導入したのである。新製後は急行「かわぐち」で活躍し、中央東線の急行「アルプス」に併結し新宿までの運転を開始した。同時に製造された001とペアで使用され、1963年には検査時の予備車を兼ねて両運転台の003が増備されている。電化私鉄が製造した気動車であったが、1965年には早くも乗り入れ先の中央東線が松本までの電化が完成し、急行「アルプス」も多くが165系電車化されてしまった。ただ急行「アルプス」も、非電化の小海線や大糸線へ乗り入れる運用を併結する2往復のみ気動車で残ったので、これと引き続き併結し新宿まで運用されたが、電車化以前よりは運用効率は落ちることとなった。そしてその急行「アルプス」も、「50-3改正」で支線区間の運用を廃止もしくは切り離し完全電車化されることになり、併結相手を失った富士急行のキハ58全車は用途を失った。しかしキハ58系は国鉄でもまだ廃車も出ていない車両であり、富士急行は譲渡先を模索しており、最終的には有田鉄道が全車を購入することになった。富士急行では1975年4月24日付で廃車とし、1975年7月10日付で有田鉄道で車籍が登録された。そして各種登録手続きやトイレ・洗面所撤去をはじめとする整備後、1976年5月から運用を開始した。その後1980年にはランニングコストを抑えるため国鉄高砂工場にて後位側のエンジンを撤去する改造を受けた。そしてその後も片運転台の001と002はペアで主に朝夕の通勤通学時間帯で使用されたが、次第に輸送量が減少し、1994年5月に樽見鉄道からハイモ180が入線すると、多客時間帯はキハ58003が、閑散時間帯はハイモ180が運用されるようになり001・002は余剰となり、1994年11月に廃車となった。

前面は私鉄所有車であることもありほとんど手を付けられておらず、ほぼ原形という点で逆に珍しい存在であった。改造点としては、恐らくエンジンが下ろされた1980年の高砂工場で放送用ジャンパ受栓が設置されており、当時の国鉄高砂工場標準でテールライトとタイフォンの間に受栓が設けられている。その他は非冷房・前面補強未施工・原形ワイパー・原形の手すりや通風口・タイフォンなど、新製時のままである。ほぼ同形の001との差異は、001はワイパーの拭き腕が1本であるのに対し、002は2本のタイプであることくらいである。
側面はおおむね原形である。001・002とも乗降扉下部隅に、400番台以降と同様の丸窓が後年設けられている。当車は3次車までの特徴である、側面赤帯上に設けられた号車札挿しが特徴であり、国鉄の同形の仲間は後に全車赤帯の中に入るよう位置が下げられたのに対し、当車を含む001〜003全車は新製時のままであった。その他当車は側面助手席側乗務員扉の後ろにある、タブレット保護板が撤去されている。
屋根上は原形のままでアンテナ等もなく、非常にすっきりしている。
床下は、前述の通り後位側のエンジンが撤去されたが、機関予熱器や油タンクなどはそのまま残っている。


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