キハ58003



1963年4月20日日本車輌製で富士急行が新製・所有した。当時の国鉄のキハ58では5次車に該当する。富士急行は全線電化の私鉄であったが、中央東線の急行「アルプス」併結して新宿まで行く急行「かわぐち」用にキハ58を2両所有しており、これの検査時の予備車として製造された。片運転台のキハ58 2両どちらが検査に入った際も対応できるよう両運転台で製造され、私鉄所有車ではあるがキハ58系で唯一の新製時からの両運転台車として大変珍しかった。電化私鉄が製造した気動車であったが、当車新製後わずか2年の1965年には早くも乗り入れ先の中央東線が松本までの電化が完成し、急行「アルプス」も多くが165系電車化されてしまった。ただ急行「アルプス」も、非電化の小海線や大糸線へ乗り入れる運用を併結する2往復のみ気動車で残ったので、これと引き続き併結し新宿まで運用されたが、電車化以前よりは運用効率は落ちることとなった。そしてその急行「アルプス」も、「50-3改正」で支線区間の運用を廃止もしくは切り離し完全電車化されることになり、併結相手を失った富士急行のキハ58全車は用途を失った。しかしキハ58系は国鉄でもまだ廃車も出ていない車両であり、富士急行は譲渡先を模索しており、最終的には有田鉄道が全車を購入することになった。富士急行では1975年4月24日付で廃車とし、1975年7月10日付で有田鉄道で車籍が登録された。そして各種登録手続きやトイレ・洗面所撤去をはじめとする整備後、1976年5月から運用を開始した。その後1980年にはランニングコストを抑えるため国鉄高砂工場にて後位側のエンジンを撤去する改造を受けた。そしてその後も両運転台の当車は主に閑散時間帯に単行運転で重宝されたが次第に輸送量が減少し、1994年5月に樽見鉄道からハイモ180が入線すると、多客時間帯はキハ58003が、閑散時間帯はハイモ180が運用されるようになった。そして晩年は朝夕でもハイモ180で事足りるようになり、当車は予備車的な扱いとなった。最晩年は状態不良で稼働することもなく、2002年12月31日付で同社の鉄道輸送が廃止されると同時に当車も廃車となった。

前面は私鉄所有車であることもありほとんど手を付けられておらず、ほぼ原形という点で逆に珍しい存在であった。当車は001・002に設けられた放送用ジャンパ受栓も無く、すっきりした顔である。ただ当車は両運転台車であることから、正面運転席側窓の幌枠寄りに屋根に上がるための足掛けが取り付けられているのが特徴である。なおワイパーは原形のWP35であるが、すべて拭き腕が2本腕である。
側面はおおむね原形である。乗降扉下部隅に、400番台以降と同様の丸窓が後年設けられている。当車は3次車までの特徴である、側面赤帯上に設けられた号車札挿しが特徴であり、国鉄の同形の仲間は後に全車赤帯の中に入るよう位置が下げられたのに対し、当車を含む001〜003全車は新製時のままであった。当車の側面は他のキハ58系に無い特徴が多く、両運転台ながら通常の片運転台車と同じ定員を確保すべくデッキが狭くその分乗降扉も狭いことや、便所がないため後位側は幅広の戸袋窓が設けられているなど、非常に個性的な姿であった。
屋根上は原形のままでアンテナ等もなく、非常にすっきりしている。
床下は、前述の通り後位側のエンジンが撤去されたが、機関予熱器や油タンクなどはそのまま残っている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る