キハ65 3



1969年6月30日新潟鉄工製の1次車で、昭和44年度第4次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット1〜4全車が高松へ配置されている。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。1975年には特急「しなの」の完全電車かによりキハ181系が名古屋から高松に転入した関係で捻出され、1975年6月24日付で鳥取へ転出し、急行「砂丘」で活躍するようになった。その後は国鉄末期まで用途は変わらず使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は西日本ではJR四国からのキハ65購入や、エーデル化改造によりキハ65の移動・交代が多かったが当車は一貫して鳥取で使用された。1993年より急行「砂丘」のアコモ改造が行われたが当車もその対象となり1993年5月24日付で改造されたが、当時原形のキハ65はこの「砂丘」用のみでアコモ改造による区別をする必要が無くなっていたことから、改番はされていない。そして急行「砂丘」の最期まで使用された。1997年11月29日ダイヤ改正で急行「砂丘」は廃止され、区間短縮し急行「つやま」として残存したがキハ65は廃車対象となり、1998年9月10日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていないが、正面窓上の通風口が撤去されている。
側面はほぼ原形のままである。タブレット授受時の保護のため、前位側折戸の前位寄り窓が鉄板で被せられている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形である。


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