キハ65 5 → キハ65 812



1969年6月30日富士重工製の1次車で、昭和44年度第4次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット5・6全車が高松へ配置されている。高松では徳島を除く四国全域の急行列車冷房化のための新製で、主に土讃本線・予讃本線の急行で活躍した。この状態は長く続き、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年3月10日付でバケットシート化され、1988年11月2日付で塗装も「四国色」へ変更されたが、1989年7月22日のダイヤ改正で急行の大幅削減が行われ、1989年8月26日付で徳島へ転出した。しかし転出後間もなくJR西日本への譲渡車へ抜擢され、当車は「エーデル」シリーズの種車となり1990年3月23日付で改造され「キハ65 812」へ改番され、福知山へ配置された。以降特急「エーデル北近畿」の他波動用等で長く活躍したが、山陰本線の電化後は「エーデル北近畿」の設定も無くなり、夜行急行「だいせん」に転用され、1999年10月3日付けで向日町へ転出した。しかし急行「だいせん」も2004年のダイヤ改正で廃止され、そのまま2004年11月1日付で廃車となった。

前面は、エーデルシリーズでは比較的原形を保っている。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下手すりも原形である。エーデル北近畿へ改造された際に向きが固定されジャンパ栓が片渡りとなったため、不要なジャンパ栓が撤去されている。
側面では、客室窓がサイズはそのまま固定窓化されている。後位側に便所・洗面所が設置されたので、側窓2枚分が埋められ、便所窓が追設されている。改造により、側面の客室用強制換気口が移設されている。4VK発電ユニットが撤去されたが、側面にあった吸気口は残存している。
屋根上は、換気扇が追設されている。
床下機器は、便所が設置されたのでデッキ側に汚物処理装置が設置され、その部分にあった接触器箱が元4VKが設置されていた場所へ移設されている。便洗面所用の水タンクは室内に設けられたため、床下に水タンクはない。四国時代にスノープロウが撤去されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る