キハ65 6 → キハ65 1801



1969年6月30日富士重工製の1次車で、昭和44年度第4次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット5・6全車が高松へ配置されている。高松では徳島を除く四国全域の急行列車冷房化のための新製で、主に土讃本線・予讃本線の急行で活躍した。この状態は長く続き、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年1月21日付でバケットシート化され、1989年3月3日付で塗装も「四国色」へ変更されたが、1989年7月22日のダイヤ改正で急行の大幅削減が行われ当車は余剰となった。そして当車は「エーデル」シリーズの種車としてJR西日本へ譲渡され、1990年3月2日付で改造され「キハ65 1801」へ改番され、福知山へ配置された。以降特急「エーデル北近畿」の他波動用等で長く活躍したが、山陰本線の電化後は「エーデル北近畿」の設定も無くなり、夜行急行「だいせん」に転用され、1999年10月3日付けで向日町へ転出した。しかし急行「だいせん」も2004年のダイヤ改正で廃止され、そのまま2004年11月1日付で廃車となった。

前位側はエーデルシリーズ共通の展望席へ改造されており、種車の面影はない。
側面では、前位側は展望席へ改造されており、種車の面影はない。後位側は種車の鋼体のままであるが、側窓は固定窓へ変更されているが、窓のサイズとピッチは種車のままである。側面の客室強制換気口も移設されている。4VK発電セットの吸気口は原形の位置に残存している。後位側車端部は業務用室とされ、窓が1枚埋められている。
屋根上は、換気扇が追設されている。また、展望席側には14系客車と同様の集中型クーラーを装備している。
床下機器は、便所が増設されていないため種車から大きく変わっていない。方転しないことからジャンパ線は片渡りとなり、不要なジャンパ栓が撤去されている。


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