キハ65 8



1969年6月25日日本車輌製の1次車で、昭和44年度第4次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット7〜10全車が高松へ配置されている。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。国鉄末期まで用途は変わらず使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1987年12月25日付でバケットシート化され、1988年度中に「四国色」へ変更された。1990年11月21日ダイヤ改正で最後まで残っていた急行「土佐」が特急格上げされ当車はローカル運用に転用されることになり、1990年11月21日付で松山へ転属した。松山では予讃線の普通列車で使用されたが徐々に運用は減少してゆき、1993年3月18日のダイヤ改正で予讃線松山電化が完成すると余剰となり、1993年3月31日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていない。1次車特有のタイフォン下部で寄り添う位置のKE53ジャンパ受栓が特徴である。
側面もほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャーの取り付け座及びドア横の保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウは取り外されている。


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